『博士の愛した数式』と介護 | 東部福祉情報専門学校オフィシャルブログ

東部福祉情報専門学校オフィシャルブログ

静岡県福祉系専門学校進学希望の方々へ

ふとした偶然から、河合隼雄さんと小川洋子さんの対談『生きるとは、自分の物語をつくること』新潮文庫(2011年3月)を読みました。

小川さんは、映画化もされた『博士の愛した数式』などの作品で知られる作家です。
この小説は、全国の書店で働く人々が選ぶ本屋大賞の第1回大賞受賞作となり、文庫化されると、2ヵ月で100万部を突破するという史上最速のベストセラーになりました。
皆さんの中にも読んだことがある、あるいは映画を観たことがある人がいるかも知れませんね。
一方の河合さんは、文化庁長官も務めたことがある臨床心理学者で、ユング派分析心理学の第一人者です。
異質の組み合わせでしょうが、河合さんが映画『博士の愛した数式』の推薦メッセージを書いたことがきっかけで行われた対談です。


私は、小川さんも河合さんも、名前こそ耳にしたことがありましたが、2人の著書は今まで読んだことがありませんでした。
『生きるとは、自分の物語をつくること』が面白かったので、続いて岡ノ谷一夫さんとの対談『言葉の誕生を科学する』河出文庫(2013年11月)や『博士の愛した数式』』新潮文庫(2005年11月)も読んでみました。

『博士の愛した数式』には、久しぶりに小説という作りものの世界を堪能したというか、大きな感動を受けました。
今まで、「小川ワールド」を知らなかったのが悔やまれるほどです。


『博士の愛した数式』は、記憶が80分しか持続しない天才的な数学者(博士)、彼の家の世話をする派遣家政婦、その息子の10歳の少年をめぐる物語です。
不思議な人物設定ですが、数学や阪神タイガース時代の江夏豊を仲立ちにして、心温まる共生の世界が描かれています。
数学と文学とが縦糸と横糸になって、見事に織られたシミュレーションといえるかも知れません。


河合さんはもともと数学を学んだということもあって、読みが深いのでしょうが、小川さんが意識していない小説のパーツ・仕掛けを指摘しています。
少年は頭のてっぺんが平らでルート記号のようだったから、博士と母親からルート君と呼ばれます。
博士とルート君は、大人の社会的な判断からフリーであり、一瞬にして友情が成立しています。
たとえば、河合さんは、それは2人が普通の大人の世界に住んでいないからであり、それはルーツを同じくするということであると解読しています。
ルートとルーツの掛詞です。
また、最初隔てられていた義姉が住む母屋と博士の住む離れに、最後にルート(道)が開かれるのも、小川さんは意識していなかったそうです。
あるいは、大人になったルートと死に近づいた博士がキャッチボールをしますが、キャッチボールこそ心理療法のエッセンスということです。


理屈抜きで寄り添うこと、それはケア(介護)の世界においても重要なことではないでしょううか?
たとえば文化財の補修で布の修理をするときに、新しい布が古い布より強いと却って傷つけることになるという例えが紹介されています。
ケアの場合にも、ケアする人とケアされる人が、力関係に差がありすぎるとよくないこともあるのではないでしょうか?


対談で、以下のような箇所があります。

------
小川:・・・・・・80分で記憶が消えるということが、あまり彼らにとってのマイナス要素じゃなくなってきたのかなと思うんです。
河合:そうなんです。例えば障害のある方と親しくなっていくと、やっぱり障害を忘れますからね。・・・・・・
------
ケアの仕事の要諦は、同じ強さで向き合うことによって、障害・ハンディキャップを忘れるような関係作りにあるのではないでしょうか?
そんなことを考えさせられました。


また、いろいろな数字が小説の小道具として使われています。
たとえば、江夏の阪神時代の背番号は28ですが、28というのは完全数です。
完全数とは、その数自身を除く約数の和が、その数自身と等しい自然数のことで、例えば 6 (= 1 + 2 + 3)、28 (= 1 + 2 + 4 + 7 + 14) や496などが完全数です。
完全数以外にも、素数、双子素数、友愛数、三角数、不足数、過剰数・・・
数字にもいろいろキャラクターがありますが、無味ともいえる数字にそれぞれ個性があるということです。


数学の世界には、「フェルマーの最終定理」だとか「オイラーの公式」だとか、不思議であり美しいとしか言いようのない式があります。
しかも、それは人間が作ったものではなく、生物発生以前から存在していたのです。
それを見出そうとする一方で、いつ果てるとも分からない争いを続けている。
人間というのは不思議な生物であると改めて思いました。
(T)