川上未映子の「私はゴッホにゆうたりたい」
私はゴッホにゆうたりたい
春が煙っておる。なんか立ち込めている。
何でもないよな一面をさあっと塗ったようなこんな空も、
ゴッホには、
うろこみたいに、飛び出して、
それは憂う活力を持ち、美しく、強く、見えておったんやろうか。
春がこんこんと煙る中
私は、
ゴッホにゆうたりたい。
めっちゃゆうたりたい。
今はな、あんたの絵をな、観にな、
世界中から人がいっぱい集まってな、ほんですんごいでっかいとこで
展覧会してな、みんながええええゆうてな、ほんでな、どっかの金持ちはな、
あんたの絵が欲しいってゆうて何十億円も出して、みんなで競ってな、なんかそんなことになってんねんで、
(中略)
今はみんながあんたの絵を好きで、世界中からあんたが生きてた家にまで行って、
あんたを求めてるねんで、
もうあんたはおらんけど、今頃になって、みんながあんたを、
今頃になって、な、それでも、あんたの絵を、知ってんねんで。知ってるねんで。
あんたは自分の仕事をして、やりとおして、ほいで死んでいったなあ、
私は誰よりも、あんたが可哀相で、可哀相で、それで世界中の誰も適わんと思うわ
あんたのこと思ったらな、
こんな全然関係ないこんなとこに今生きてる私の気持ちがな、
揺れて揺れて涙でて、ほんでそんな人がおったこと、絵を観れたこと、
わたしはあんたに、もうしゃあないけど、
やっぱりありがとうっていいたいわ
だからあんたの絵は、ずっと残っていくで、すごいことやな、すごいなあ、よかったなあ、そやから自分は何も残せんかったとか、そんな風には、そんな風には思わんといてな、どんな気持ちで死んでいったか考えたら、私までほんまに苦しい。
でも今はみんなあんたの絵をすきやよ。
私はどうにかして、これを、それを、
あんたにな、めっちゃ笑ってな、
ゆうたりたいねん。
ゆうたりたいねん。
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>どんな気持ちで死んでいったか考えたら、私までほんまに苦しい。
>でも今はみんなあんたの絵をすきやよ。
>私はどうにかして、これを、それを、
>あんたにな、めっちゃ笑ってな、
>ゆうたりたいねん
この戯れとも韜晦とも考えてしまう大阪弁の持つ親密感。傍若無人の文体が逆に川上未映子の真骨頂であることはいうまでもない。
まあでもゴッホをここまで身近な存在に引き寄せられるのは氏しかおらんだろう。
見事な才能だなあ。いささかあきれはするけども。