伝道 加川良 〈追悼〉 | 象さん

伝道 加川良 〈追悼〉

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                  伝 道
            

            作詞/曲 加川良

     悲しい時にゃ 悲しみなさい
     気にする事じゃ ありません 
     あなたの大事な 命に 
     かかわることも あるまいし

     そうです それが 運命でしょう
     気にすることじゃ ありません 
     生まれて 死ぬまで つきまとうのは
     悩みというものだけなのですよ





その昔、これは関西だけだったかもしれないが「西沢学園」のCMのバックにこの「伝道」が流れたことがあった。あまりの意外さに耳を目を疑ったものだ。加川良のファースト・アルバム(1971年)に収められた一曲が、20年の時を経て陽の目をみたような1ファンとしてはうれしいようなそれでいて一体なぜ?といったひと言では言い尽くせないようないろんな思いがないまぜになってしまったことをよく覚えている。



俳優の大杉漣が大の加川良びいきで、この「伝道」に感銘を受けたことを2002年2月28日朝日新聞にインタビュー記事が掲載されたことがあった。



アルタイムで影響をうけた世代なのであろう。説得力がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  検査入院されていたとは・・

 

  さきほど知った。

 

  大事にいたりませぬように。

 

 

 

 

 

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歌手の加川良さん死去 70年代フォークブーム牽引

 

 

フォークシンガー加川良さん死去 69歳、白血病

 

 

フォークシンガー加川良さん死去 69歳、白血病

フォーク歌手の加川良さん(かがわ・りょう=本名小斎喜弘)が5日午前9時39分、急性骨髄性白血病のため、都内の病院で死去した。69歳だった。

所属事務所によると前日4日夜に容体が急変。妻富士子さんと長男のミュージシャン元希が見守る中、息を引き取った。葬儀・告別式は親族のみで行い、後日、追悼ライブを開く予定。喪主は長男元希(げんき)が務める。

昨年12月、山梨県の病院に入院し、予定していた公演の延期を発表。公式ホームページに「今しばらくの入院生活となりそうです」と自筆でつづっていた。闘病中も、昨年発売したアルバム「みらい」について「もっと世の中に広げてほしい。セールスをよろしく」と気に掛けていたという。

70年フォーク野外コンサート「中津川フォークジャンボリー」で披露した「教訓1」が評判を呼び、翌71年にデビュー。吉田拓郎(71)らとともに70年代のフォークブームをけん引し、日本フォーク界の先駆け的存在だった。松山千春(61)は小学生のころから加川の曲を口ずさみ、「オレの音楽のルーツ」と公言。カバーアルバムに加川の曲を収録するなど多くのミュージシャンに影響を与えてきた。

 

 

 

 

 

突然の訃報に接し、なんといってよいのか、言葉がみつからない。

 

ただただお礼を申し上げたい。

 

 

最後の最後まで現役にこだわって歌い続けた骨太のフォークシンガーにただただ感謝の気持でいっぱいだ。

 

よくぞ歌い続けてくださった。

 

 

その歌、見事な歌いっぷりにどれだけ心を揺さぶられ、その度、感動をあたえてくれた。

 

終演後、きさくにサインに応じてくれた。

 

 

それはライブハウスならではのことであったし、けっして時代に阿ねることもなく、マイペースを歩んだ。

 

その姿勢をよからぬ思いで感じた向きも一部にはあった

かも知れない。

 

 

しかし、マイペースを崩すことは、時代に流されることは一度もなかった。

 

 

その意味で加川良は信念を貫いたシンガーといえる。

 

それがいかに難しいことか、ご本人が痛切に抱いていたことは素人目にもよく感じられた。

 

 

しかし、その姿勢こそ彼の信念だったのだろう。

 

高田渡亡き後、その意思を継ぐ骨太のフォークシンガーがこの世を去った。

 

 

喪失感は今後、日増しに大きくなる一方だろう。

 

哀悼のことばを申し述べるにはあまりに時間が短すぎる。