ここまでくると抜け出すのは難しいだろう。
芸能界復活…といっても、ライブや舞台なら共にやるスタッフや共演者が納得していれば問題ないだろう。
これに関しては、お客さんが直接お金を支払うため、ちゃんと理解しているからいいと思う。
でも、テレビや映画は駄目だ。
テレビは不特定多数が見るし、映画も好きな人しか見ないがしっかりとした規制を設けているからね。
もし、犯罪者を使っていいならR指定も不要だし、性的描写も規制不要だし、人種差別的表現も自由にするべきだろう。
だって、見たい人だけ見るんだから…
と、なってしまう。
表現の不自由展も同じ、興味のある人だけ見に来るのだからいいだろう…みたいなことを言う美術家もいるみたいだが、アートといえば何でも正当化されると勘違いをしている。
本当に自由なことをやりたければ、どこの領土でもない無人島でやればいい。
みんな不自由中でまわりに迷惑かけないように生きている。
自由な生き方がカッコいいというのは責任をとる覚悟があるからだ。
無責任で人に迷惑をかけ、権利だけを主張するのは自由な生き方ではない。
無責任な生き方だ。
薬物での犯罪者は無責任な生き方をした人。
もし、メディア復活したとして、活躍する可能性もあるでしょう。
薬物依存で悩んでいる人たちには勇気になるかもしれない…
しかし、こう解釈する人もいる。
薬物やっても、活躍できるんだから…
あの人も薬物やっても立派に活躍してるよ…
など、薬物に手を出す自分を肯定する人も現れる。
そして、薬物くらいなら頑張ればなんとかなると…勘違いした人を生む。
人は楽な方に流れる…そこに肯定的な理由が転がっていたら飛び付くだろう。
その人はいいかもしれない…薬物をやって快楽を得て、その後に希望まで持てるのだから。
でも、まわりの人たちは…
まわりの人たちのためにも、芸能人は復活してはならない。
そんな無責任な復活劇は必要ないのである。