ブルマーの強要はセクハラだった… | イースレイの賛否両論愚痴日記

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日常の不満、感動などを自分勝手な見解でお送りします(笑)

今はほとんどブルマーはないそうです。

私は特にブルマーに対して何の興味もありませんし、ほとんどの男性もそうでしょう。

特殊な人達がそんなイメージにしたのかもしれないですね。

一部の人の趣味で全ての男性がセクハラの加害者というような発想は被害妄想としか言えないし、男性全てを否定し侮辱している。

そもそもブルマーに興味なんてないので、なくなろうがまったく関係ないですが、気になったのはルールに関してのコメントでした。

「ルールというのは“決められたら絶対に守る”というものではなくて、不合理なルール、必要性のないルール、自分が全く関与せずに作られたルールには“異議を唱えてもいいんだよ”と言ってあげたい。できれば、助けてあげられるような大人でいたい」

さらに、弁護士の観点から、個人の尊厳と自己決定権(憲法13条)の2つを挙げます。「あなたには、誰にも侵すことのできない尊厳があって、自分のことを自分で決める権利がある。例えばどんな服を着る、どんな風に人に見られたい、ということを自分でコントロールするなど、他人から強制されない権利があるの。だから、その疑問は正当な疑問だよ」と伝えたいとも。

上記がその内容でしたが、言っていることはわかりますが、あまりに自己中心的な発想でこんなことを簡単の口にする人がいることに驚きです。

ルールというのは様々な人達が集まる集団の中で不満を抱えながらも秩序を守るために定められたもの。

その人に意味がなくても、違う立場からは意味がある。

確かに一方的なルールもあるが、それは運営する立場が決めている。

気に入らなければ、そこに所属する必要はない。

選択の自由は個人にあるのだから。

他人から強制されない権利はあるが、組織に所属してなければね。

組織には組織のルールがある、だから秩序が保たれる。納得できないからと言って好き勝手やられてはたまったもんではない。

もし上記のようなことがまかり通ると弁の立つ人が好き勝手やって、うまく言葉にできない人達が損をする世の中になってしまう。

正解なんて個人によって違うのだから、異議を唱えてもいいなんて簡単に言ってはいけない。

ルールは守ることが大前提という入口は確保しなければならない。その上で自分にとってではなく、上から下の人まで組織にとって有効なルールなのかを検討するのが本来の姿ではないだろうか。

最近は権利の主張ばかり…義務や責任は他人を追及するときにしか使わず、自分達には課さないコメントが多いように感じる…

権利の大きさは、義務や責任の大きさに比例していることを自覚しないとモンスターばかりが増えてしまう…

これが現実ということを認識した上で対策を講じていくしかないですね…

先進国たるものは…または欧米諸国では…などに踊らされ、日本らしさが失われてきている…生きづらい面もあったかもしれないが、だからこそ生まれる日本の良き心意気もあったはず。

便利になり不自由さが減ると、今度は欲が剥き出しになってくる。

やれ不公平だ…やれ権利だ…と自分のことばかり…

悲しいけど、これが今の時代なんでよね…

便利な世の中になって本当に楽になったけど、目には見えない大きなものを失ってしまったように思います…