人種差別…男女差別…学歴差別…職業差別
いろいろあるが、特に人種差別と男女差別は敏感になりすぎのように感じる。
グッチやプラダの商品が黒人差別だとか、箸の使い方をバカにしていると中国が差別だと騒ぐ。
女性も何かにつけて差別という言葉で正当性をアピールする議員や有識者が増えている。
確かに度を超えた差別はなくすべきだが、平等というのはあり得ない…というより、人が千差万別である以上無理なのだ。
どこかに合わせれば、どこが文句を言う。百人が百人とも納得できる平等なんてありえない。
人種差別なら黒人が納得できるまで白人は譲歩しなければならない、恐らくその先には白人差別にまで行きつくだろう。
男女差別もそう、女性が納得できる社会は男性が納得できる社会ではない。
近年では酷い差別が少なくなり、ちょっとしたことでも差別と騒ぐ…
セクハラにしても、実際の現場で仕事に支障がでるものは小さいことでも無くすことが理想だが、テレビなどでこの発言は…とか、このタイトルは…とか過剰に反応するのは行き過ぎだと思う。
特に人種差別と男女差別は免罪符のように使っている。
他にもハゲやデブ、チビ、デカなどは平気で扱っている…これだって差別でしょう?
なぜ黒人と女性だけが過剰に擁護されなければいけないのか?
文句を言ったもの勝ちになっているのでは?
文句を言わない人には何をやってもいいと思っている?
これで気遣いが足りないとか文句を言うの?
何事もやり過ぎは良くない。
もし、平等があるのなら、平等に裁くこと…人種差別も男女差別もいけません、これは当たり前です。
しかし、他の差別で許容されている範囲に関しては同じように扱うべきでしょう。
そこはもう差別ではなく区別、人の個性の違いは短所もあれば長所もあるのでしから。
黒人で損したこともあるかもしれない、女性だからという理由で不満をかかえることもあるかもしれない、でも黒人で良かったと思うことも女性で良かったと思うこともあるはずです。
それは白人でも男性でも同じこと、もっと言えば学歴でも職業でも同じですよ。
過剰に正論をかざすことが暴論になってませんか?
正論は見る角度でいくつも存在しています、自分勝手な正論だけを盲信してませんか?
自分の権利を主張することより、許すこと譲ることができるそして感謝をすることができる世の中にすることのほうがが良くはないですか?