教師の暴力問題や松本人志のセクハラ発言問題などを見ていると思う。
もちろん暴力もセクハラも悪いこと。
しかし過剰に反応しすぎて、その度を越えてきている。
教師は羽をもぎ取られ生徒の親や生徒に必要以上に気を使わなければいけない。
もはや絶対的強者だった教師は弱者となった。
男尊女卑という時代を経て女性をリスペクトしてきたが、もはや女性差別という言葉を乱立させ暴走しすでに女性は弱者ではなくなっている。
セクハラと言えばすべての男性がひれ伏す印籠のようなものと化した。
松本人志の「得意の体を使って…」はセクハラになるが、ハニートラップは女性特有の卑劣な行為なのに騙される男が悪いという。
騙されたほうが悪い訳がない、どんなことでも騙すほうが悪いのである。
オレオレ詐欺も騙された老人がバカだとでも言うのか?
どちらも心理をついた詐欺だ。
痴漢冤罪にしてもそう、痴漢の有罪率はほぼ100%だ。
推定無罪が痴漢は推定有罪となっている。
女性を擁護しすぎたせいで、こんな理不尽がまかり通ることになっている。
教師の暴力問題もそうです。
暴力という言い方がおかしい。
体罰と暴力を一緒にした暴論だろう。
その区別をつけることを怠った愚かな判断により、生徒側が頭に乗って昔ではありえなかった残忍な犯罪も起こるようになった。
確かに体罰と暴力をはき違えた教師がいた、暴力とわかっていながら体罰とすり替えていた教師もいた。
それは教師を裁かなければいけないのに、論点がズレテ体罰を暴力としてしまった。
体罰も骨折や失明など度を越えると完全に暴力だし傷害です。
昔の教師はちゃんと線引きしてできていた。
どこまでが体罰でどこからが暴力かを。
教師は絶対的強者でなくてはならない。
それは教育する側とされる側だから当たり前のこと。
もちろん優秀な生徒だけを扱っていたら体罰なんて必要がない。
すべての生徒を優秀な生徒に育てあげられる教師ばかりでもない。
だからこそ教育にはいろんな権限が必要なのである。
例えば警察が拳銃を携帯している。
警告や威嚇射撃をしたのちなどステップを踏めば拳銃の使用は認められている。
人を傷つける権利があるんです。
それは相手が言うことを聞かない場合という点では一緒です。
拳銃の場合は命の危険性がある場合という特殊性もありますが、教師の扱うのは命のやり取りではないので体罰という形になる。
どちらも扱いや度を越えたら犯罪となる。
しかし、教師の場合は問答無用で体罰が暴力と判断される世の中になってしまった。
体罰くらいで反省しない骨のある生徒もいたが、今では大したことない生徒まで調子に乗ってくる始末だ。
親が親として機能していない弊害とも言えるが、これが学校に持ち込まれてはたまったもんではない。
完全に教師は弱者化している。
生徒に開き直られたら、教師は成すすべもない教師は多くいると思う。
教師はあくまで職業のひとつでしかない、どんな不利な条件でも何とかできる教師はひとにぎりだろう。
体罰は暴力、女性にはセクハラ、権力はパワハラ、どれも使う人間によって良くも悪くも働いていたしまう。
だからこそ本質を見抜く努力が必要なのに、簡単に済まそうとするから現場が混乱する。
今までの弱者はもう弱者ではない。