ことちゃんとお留守番長@うぉるです、ごきげんよう!
外は素敵な秋晴れだよ!
さて、本はもっぱら図書館で借りる派の僕ですが、この作家さんだけはハードカバーで買います。
- 村上春樹 雑文集/村上 春樹
- ¥1,470
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『村上春樹 雑文集』 村上春樹
この本は小説ではありません。
村上さんがこれまで書いてきた未収録の作品(主にエッセイや挨拶)を収録した、タイトルそのまま『雑文集』なのです。
エルサレム賞受賞の際に話題となった『壁と卵』も収録されています。
その一つ目の作品「自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)」の文章が、あまりにも素敵だったので引用させてもらいます。
それは別の言い方をするなら、精神の組成パターンの組み換えのサンプルである。
そしてそのサンプリング作業を通じて、読者は生きるという行為に含まれる動性=ダイナミズムを我がことのようにリアルに「体験」する事になる。
どうしてわざわざそんなことをしなくてはならないのか?
「精神の組成パターン」を実際に組み替えることなんて、人生の中で何度もできることではないからだ。
だから、我々はフィクションを通してまず試験的に仮想的に、そのようなサンプリングをおこなう必要がある。
「なぜ小説を読むの?」と人に聞かれたら僕は端的に「いろんな物語を体験したいから」と答えるんだけど、その思いをすごく的確に表現してくれてる文章なのです。
僕はいつも思う。
小説というものは多かれ少なかれその人の経験値を上げるものだと。
それは小説だけでなく、音楽、映画、漫画にも言える事なんだけど。
特に僕の場合、妻も子どももいて、人から見たら本当に平凡な生活を送っていると思う。
その平凡さがたまらなく好きだし、愛おしい。
けど、小説や音楽といった他の「物語」を通じて僕は確実に何かを手にしている。
そして、また大好きな平凡な生活(あるいは家庭)に戻っていく事ができるのだ。
それこそが「物語」の魅力だと思うんだよね。
・・・(´・ω・`)
以上!
年に数回あるかないかの真面目「僕の言葉」でした(笑)
最後も村上さんの言葉を借りて、今日はお開きとします!
物語とは風なのだ。
揺らされるものがあって、初めて風は目に見えるものになる。
-村上春樹