前の投稿で、因果関係と相関関係を混同するような言い方で、コロナの感染拡大の理由を語るのは危ういと書いた。


でもそんなこと、誰だってわかっていると思う。それでも、世界中がコロナを怖がっている中では、みんな「わかりやすい原因」に早くたどり着きたいと思ってしまう。


実はこれ、一神教の広まり方に似ている。宗教には、人々の生きていく不安に光を当てたり癒したりする機能がある。


不安な中で生きている人は「これが正解ですよ」と言われると、大きな癒しをもらえる。一神教では信仰の対象が唯一なので、その正解がひとつ。

一方で多神教だと「これも正解だし、こっちも正解です。なんなら最初の正解を、こんな風に見ることもできるよ」と言われるので、不安解消への即効性がない。


コロナで世界中が不安に陥ると、多くの人は一神教的な即効性のある不安解消を求めるので、感染拡大の理由が「これだ!」と言ったような言い方に一時的に安心感を得られる。


しかしコロナウイルスは、まだまだ未知といえる上に、ここまで広がった理由が一つなはずはない。


そんな時に有効なのが、多神教的な見方だと思う。

ただし、多神教的な見方をすると安心感はなかなか得られないという部分では、こちらにも毒があるとはいえる。


寡聞にして僕は、仏教は多神教の最たるものだと思っている。一神教はもちろんだけど、仏教以外の多神教も、その真ん中に「答え」を持っている。でも仏教は、その答えの部分を「空」としている。つまり、一生答えは出ないと言ってもいい。


仏教の始祖である釈迦は、弟子と真理についていて問答をしている中で、「結局、真理は何なんすか!?」と弟子に言われて黙ったという。

また、大乗仏教を広めた龍樹(ナーガルジュナ)も、真理を問われたら煙を吐いたそう。まさに「煙に巻いた」ということ。


さらに、日本でもっともポピュラーなお経である般若心経は、真理についてお経の3/4ほどを使って「あーでもない。こーでもない」と否定しまくる。だから般若心経には「不」「無」という文字がやたら出てくる。


それだけ徹底的に否定をしたあとで、では答えは何かと思えば、答えを語るべきラストの部分で「ギャーテーギャーテハーラーギャーテーハラソーギャーテーボージーソワカ」と語る。


なんと、この一文には基本的に意味はない。真言(マントラ)といって、音の交換でしかなく、「ちちんぷいぷい」や「テクマクマヤコン」と同じだと思っていい。(ここまで言うと、ガチ仏教の人に怒られそうだけど、多分大枠は間違えて無いと思う)

つまり、般若心経さえも終わりに答えは用意されていない。


こんな不安しか残らないやり方より、今ははやくコロナの不安を解消したいと思うかもしれない。でも僕は、繰り返し書いた通り「ひとつの理由な訳がない」と思っているので、仏教的な見方でいたいと感じている。


つまり「遺伝子も土足文化も、正解を構成するひとつの要素かもしれない」くらいの感じ。

なんなら逆に「これだけは、コロナ拡大の理由では絶対ないな」みたいなものを、いくつもいくつもだして、砂場でやる山崩しみたいに真ん中に近づいて行けたらいいなと思っている。


ひとつもボケなかったことは、反省しています。