今日の一曲!ユノハ・スルール(CV:小倉 唯)「ユノハノモリ」
「今日の一曲!」は、ユノハ・スルール(CV:小倉 唯)「ユノハノモリ」(2012)です。アルバム『アクエリオンEVOL イヴの詩篇』収録曲。
ディスク名の通り、TVアニメ『アクエリオンEVOL』の関連楽曲(後期ED曲)ですが、生憎僕はその前作にあたる『創聖のアクエリオン』しか観たことがないため、作品と絡めたレビューは浅いレベルでしか出来ないことをお断りしておきます。当該の盤は、菅野よう子ファンとして所持しているだけです。
ということで先に楽曲クレジットから処理してしまいます。作編曲者は菅野さんで、作詞は菅野さんの変名であるGabriela Robinと新居昭乃さんとの共作となっており、ボーカルを務めているのはユノハの声を演じた小倉唯さんです。
声優としての小倉さんの声質に関する所感を述べると、過剰なほどに甘いロリータボイスと、マニッシュもしくはボーイッシュなキャラに馴染むような低めの声を、作品のニーズに応じて使い分けているというものになります。歌唱に言及するとなるとまた異なる感想が出てきてしかるべきかと思いますが、本曲のボーカルのタッチをどちらかに分類するとすれば、前者のタイプだとして差し支えないでしょう。しかし、リリース当時は未だ主役級の役を担った経験が少ないからか、或いは十代の垢抜けなさを残しているからか、ロリ声系と言ってもあざとさよりかはあどけなさを感じさせる仕上がりで、近年のこなれた感じとは違った趣があるとの印象です。
先述の通りアニメを観ていないので、この差はもしかしたら歌い手のキャリア云々は関係なく、キャラクターに寄せた結果の産物なのかもしれません。実際、本曲の魅力のひとつとして「歌詞の儚さ」は確実に挙げられるでしょうし、そこから垣間見えるキャラ像が、ひいては声質に馴染んでいる面もあるのだろうと想像出来るからです。一応Wikipediaやピクシブ百科事典のページをざっと見て、ユノハというキャラのことを少しは把握してみようとした結果、どうやら羞恥心で透明化する能力持ちの極度のシャイガールのようだとわかったので、この今にも消え入りそうなフラジャイルなボーカルはそこから発露したものかと得心がいきました。余談ですし他意はありませんが、『マギレコ』のさなも似たような能力でCVが同じなので、二次創作のネタに出来そうですよね。
話を曲に戻して、まずは前掲の「歌詞の儚さ」にフォーカスします。死別を思わせるラブソングといった趣が涙を誘う内容で、各サビの結びのフレーズ;"地球の裏側でもいいから/生きていてほしかった"と、"私を忘れててもいいから/生きていてほしかった"は、願いのあまりの切なさに胸が締め付けられる思いです。直接的に「死」が出てくるのは、"ここでは毎日恋がポロポロ/死んでゆく"という一節なので、これはともすれば「恋を擬人化した上で、失恋を死別と表現しているだけ」なのかとも思いましたが(この一節に限ればこの理解が正道の擬人法でしょうが)、設定に照らし合わせるに、物理的な死別が背景にあると素直に捉えてよさそうです。
このようにサビの歌詞は直截的だと言えますが、A/Bメロに見られる婉曲的な「死」の表現も実に巧く、高い文学性を誇っているところを評価しています。"君へ続く坂道に/白い花が咲いてた"は、「白い花=死」の普遍的または慣習的なイメージに則ったものでしょうし、"この気持ち葉っぱの裏に住んでる"は、「草葉の陰」という表現を連想させます。"木の上で太陽は/冷たく笑った"は、「寿命の尽きた恒星」による「死と幾星霜」の演出に繋がりますし、"手のひらで蝶々の羽がちぎれる/思い出は胡桃のよう/誰に拾われるの?"を「生死」に絡めるならば、「胡蝶の夢」や「ギリシア神話のカリュアに纏わる逸話」を浮かべる場面かなと思いました。もしかしたらアニメで描かれていたシーンを言語化しているだけなのかもしれませんが、観ていない人間の歌詞解釈としてはここまでが限界です。
どうしても「死」ばかりに意識がいってしまいますが、"はじめて好きになったの/あなたは知らないでしょう"という、実らなかった恋を偲ぶようなフレーズは、現実を生きている段階でも切なく響く素敵な歌詞だと感じます。
続いてはアレンジ面の掘り下げです。冒頭から暫くはビートもベースも完全に排したつくりで、冷たくも温かくも感じられる不思議な質感のシンセが空間を支配しています。「明滅する光源のような」と、余計にわかりにくいかもしれない形容によって喩えたいサウンド。
サビに入るとリズムセクションを担う音が登場して、ここまでの儚げなイメージが幾分和らぎます。擬音で表せば「ボワン」としたシンセベースは温かな広がりを見せていますし、隙間を埋めるストリングスも優しく染み渡っていく類のさり気無さです。ただ、わかりやすいドラムセクションは未だ出て来ず…というか実は最後まで明白にドラムスだと言えるような音は本曲には据えられていなくて、曲の前半(2番サビ終わりまで)は強いて言えば所々で聴こえるノイズが、後半では発条や歯車の動きを彷彿させる音のみがビートで、実質的にリズムに寄与しているのは先述のシンセベースおよびストリングスだと分析したいアレンジになっています。聴こえない程度のキックで補助されているような気もしますが、歌詞内容に寄り添った主張し過ぎない編曲が出来るところは流石菅野さんの作であると絶賛です。
最後にメロディにふれたいのですが、正直何処を切り取っても美しいとの認識なので、ここまでのように分解する形でレビューをするのは適切でないと考えています。こう書けてしまうほどに、非の打ちどころのない完璧な連続性を保っていると言いたいわけですが、敢えて一点だけ推しのラインを挙げるとするならば、"はじめて好きになったの/あなたは知らないでしょう"には、神懸かり的な流麗さが宿っていると主張します。
ここの旋律自体が持つ良さを正しく綺麗になぞっていても勿論美しいとは思うのでしょうが、ここまでに述べたような小倉さんの声質;「あどけなさ」または「消え入りそうなフラジャイルな」印象と、歌詞の儚さ;「実らなかった恋を偲ぶような」意味内容まで考慮すると、完全なメロディに適度な揺らぎが生まれる、換言すれば不完全な要素が混ざることで一層旋律の良さが際立っているという点で、真に調和が取れた美しさが顕現していると言え、これこそがこのラインを甚く気に入っている理由です。
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ディスク名の通り、TVアニメ『アクエリオンEVOL』の関連楽曲(後期ED曲)ですが、生憎僕はその前作にあたる『創聖のアクエリオン』しか観たことがないため、作品と絡めたレビューは浅いレベルでしか出来ないことをお断りしておきます。当該の盤は、菅野よう子ファンとして所持しているだけです。
ということで先に楽曲クレジットから処理してしまいます。作編曲者は菅野さんで、作詞は菅野さんの変名であるGabriela Robinと新居昭乃さんとの共作となっており、ボーカルを務めているのはユノハの声を演じた小倉唯さんです。
声優としての小倉さんの声質に関する所感を述べると、過剰なほどに甘いロリータボイスと、マニッシュもしくはボーイッシュなキャラに馴染むような低めの声を、作品のニーズに応じて使い分けているというものになります。歌唱に言及するとなるとまた異なる感想が出てきてしかるべきかと思いますが、本曲のボーカルのタッチをどちらかに分類するとすれば、前者のタイプだとして差し支えないでしょう。しかし、リリース当時は未だ主役級の役を担った経験が少ないからか、或いは十代の垢抜けなさを残しているからか、ロリ声系と言ってもあざとさよりかはあどけなさを感じさせる仕上がりで、近年のこなれた感じとは違った趣があるとの印象です。
先述の通りアニメを観ていないので、この差はもしかしたら歌い手のキャリア云々は関係なく、キャラクターに寄せた結果の産物なのかもしれません。実際、本曲の魅力のひとつとして「歌詞の儚さ」は確実に挙げられるでしょうし、そこから垣間見えるキャラ像が、ひいては声質に馴染んでいる面もあるのだろうと想像出来るからです。一応Wikipediaやピクシブ百科事典のページをざっと見て、ユノハというキャラのことを少しは把握してみようとした結果、どうやら羞恥心で透明化する能力持ちの極度のシャイガールのようだとわかったので、この今にも消え入りそうなフラジャイルなボーカルはそこから発露したものかと得心がいきました。余談ですし他意はありませんが、『マギレコ』のさなも似たような能力でCVが同じなので、二次創作のネタに出来そうですよね。
話を曲に戻して、まずは前掲の「歌詞の儚さ」にフォーカスします。死別を思わせるラブソングといった趣が涙を誘う内容で、各サビの結びのフレーズ;"地球の裏側でもいいから/生きていてほしかった"と、"私を忘れててもいいから/生きていてほしかった"は、願いのあまりの切なさに胸が締め付けられる思いです。直接的に「死」が出てくるのは、"ここでは毎日恋がポロポロ/死んでゆく"という一節なので、これはともすれば「恋を擬人化した上で、失恋を死別と表現しているだけ」なのかとも思いましたが(この一節に限ればこの理解が正道の擬人法でしょうが)、設定に照らし合わせるに、物理的な死別が背景にあると素直に捉えてよさそうです。
このようにサビの歌詞は直截的だと言えますが、A/Bメロに見られる婉曲的な「死」の表現も実に巧く、高い文学性を誇っているところを評価しています。"君へ続く坂道に/白い花が咲いてた"は、「白い花=死」の普遍的または慣習的なイメージに則ったものでしょうし、"この気持ち葉っぱの裏に住んでる"は、「草葉の陰」という表現を連想させます。"木の上で太陽は/冷たく笑った"は、「寿命の尽きた恒星」による「死と幾星霜」の演出に繋がりますし、"手のひらで蝶々の羽がちぎれる/思い出は胡桃のよう/誰に拾われるの?"を「生死」に絡めるならば、「胡蝶の夢」や「ギリシア神話のカリュアに纏わる逸話」を浮かべる場面かなと思いました。もしかしたらアニメで描かれていたシーンを言語化しているだけなのかもしれませんが、観ていない人間の歌詞解釈としてはここまでが限界です。
どうしても「死」ばかりに意識がいってしまいますが、"はじめて好きになったの/あなたは知らないでしょう"という、実らなかった恋を偲ぶようなフレーズは、現実を生きている段階でも切なく響く素敵な歌詞だと感じます。
続いてはアレンジ面の掘り下げです。冒頭から暫くはビートもベースも完全に排したつくりで、冷たくも温かくも感じられる不思議な質感のシンセが空間を支配しています。「明滅する光源のような」と、余計にわかりにくいかもしれない形容によって喩えたいサウンド。
サビに入るとリズムセクションを担う音が登場して、ここまでの儚げなイメージが幾分和らぎます。擬音で表せば「ボワン」としたシンセベースは温かな広がりを見せていますし、隙間を埋めるストリングスも優しく染み渡っていく類のさり気無さです。ただ、わかりやすいドラムセクションは未だ出て来ず…というか実は最後まで明白にドラムスだと言えるような音は本曲には据えられていなくて、曲の前半(2番サビ終わりまで)は強いて言えば所々で聴こえるノイズが、後半では発条や歯車の動きを彷彿させる音のみがビートで、実質的にリズムに寄与しているのは先述のシンセベースおよびストリングスだと分析したいアレンジになっています。聴こえない程度のキックで補助されているような気もしますが、歌詞内容に寄り添った主張し過ぎない編曲が出来るところは流石菅野さんの作であると絶賛です。
最後にメロディにふれたいのですが、正直何処を切り取っても美しいとの認識なので、ここまでのように分解する形でレビューをするのは適切でないと考えています。こう書けてしまうほどに、非の打ちどころのない完璧な連続性を保っていると言いたいわけですが、敢えて一点だけ推しのラインを挙げるとするならば、"はじめて好きになったの/あなたは知らないでしょう"には、神懸かり的な流麗さが宿っていると主張します。
ここの旋律自体が持つ良さを正しく綺麗になぞっていても勿論美しいとは思うのでしょうが、ここまでに述べたような小倉さんの声質;「あどけなさ」または「消え入りそうなフラジャイルな」印象と、歌詞の儚さ;「実らなかった恋を偲ぶような」意味内容まで考慮すると、完全なメロディに適度な揺らぎが生まれる、換言すれば不完全な要素が混ざることで一層旋律の良さが際立っているという点で、真に調和が取れた美しさが顕現していると言え、これこそがこのラインを甚く気に入っている理由です。