東海道五十三次 自転車の旅

 

                     8月16日 13日目(快晴)

 

                  (神奈川宿~川崎宿~品川宿~日本橋)

 

 さァ、笑っても、笑っても、今日はいよいよ「日本橋」到着だ。疲れも吹っ飛んだように気分は軽い。

よく付き合ってくれた二人にも感謝だ!!

 今日の行程は平地で距離も比較的短い、ホテルは9時30分出発。

 まず、山下公園まで、少し遠回り。長細く広大な林がある山下公園。海側はフェンスが一直線に伸びている。大きな船が一艘停泊している? これが「氷川丸」だ。日本郵船が建造した1万トン級の船舶である。終戦直後には、軍用船を改装した常時繋留の観光船だ。立派なレストハウスである。

 

   

森の向こうには「マリンタワーが港の観光資源として、建造されてから久しい。フェンス沿いに歩いて行くと公園中間点ぐらいな処に童謡でお馴染みの「赤い靴」の歌碑と可愛らしいモニュメントのが目に着く。

 

少しの間、時間を取り、国道1号線に向けて出発。

 

  

 

 横浜市街地(当時は神奈川宿エリア)を出、て間もなく「生麦」にさしかかる。幕末、島津藩の大名行列を馬で横切ったイギリス人を「無礼者」と惨殺して、薩英戦争に発展した。これが生麦事件で、幕末の世情に大きな影響を与える。 

  この事件の説明と小さな慰霊碑・社が建てられている。

  その前は国道1号線であり、記念撮影をして再び東京方面へ。工場や民家が所狭しと立ち並んでいる。

神奈川県と東京都の県堺は多摩川である。武蔵平野を流れる大河で。川幅が広く、河川敷まで美しい緑に覆われており、遠くまで川筋と建物が見える。

 

  

  

 

川筋をバックにしたり、県堺の橋などを数枚記念撮影する。自転車にまたいだり、降りたりしているうちに、ついハンドルにきつく触ったのか、距離計の一つが外れて転がり、橋の桁から転がって紛失するというハプニングが発生!(距離計は2個装備していた)

  

品川(宿)へ入る手前に「鈴が森」が目についた。当時の罪人の処刑場である。いわくありげな広場になっており、鈴が森の看板が異様に感じられた。

 

品川に入り、もう道は日本橋まで一直線。

赤穂浪士の泉岳寺を過ぎてからは、新橋、銀座の界隈は歩行者が多く、人にぶつかりそうで見学どころではなかった。

高島屋デパートが右側に見えてきた。間もなく日本橋郵便局を過ぎれば「日本橋」だ。

踏むぺタルは軽い。交差点が見えた。この時の為にお願いしていた「兄の顔」が目に入ってきた。

 

 

 兄も旅行大好きで、若い頃は全国を回ったそうだ。この旅行を誰よりも喜んでくれ、到着日には必ず出迎えてやる、と硬い約束をとりつけていた。この上ない笑顔で出迎えてくれたのが、

何よりもうれしかった!

 運転手として甥も同行しており、今日は、埼玉の兄宅に泊めてもらうことにした。

 荷物の内、必要なものを取り出して、他は、自転車と共に近くの日通(ニッツー)に預け、車で埼玉に向かった。 

 苦しく、そして楽しく有意義な旅は終わった。

 子供の頃から持ち続けた1つの夢が現実のものとなった。(為せば成るの心境だ!)

                                             

      (起床ー6:00 出発ー9:40(洗濯で遅れる) 日本橋 到着ー15:45) 

                  今日の走行距離:60.6Km

 

     大阪・自宅から東京・日本橋までの走行距離:669.1Km