東海道五十  三次 自転車の旅

 

8月10日 第7日目 (快晴)


               (吉田宿二川宿~白須賀宿~新居宿舞阪宿浜松宿)


  吉田宿は、吉田城の城下町である。「吉田通れば二階から招く。しかも鹿の子の振袖が」と詠われ、賑わった宿場町である。
  しかし、ここは戦災でほとんどが焼失したとのことだ。


パンク修理2回目     
  愛車が三度目のパンク。携帯の空気入れを片手に、ホテルで借りたバケツに水を入れ、チューブを浸けてパンク箇所を探して修理。

 

 

吉田城・天守閣2


 吉田宿・ウナギや 吉田宿本陣跡 
 
   パンクの修理に手間取ったが、ホテルを出発して、さっそく城址のある公園へ。再建された天守閣近くのコンクリート防護壁に囲まれた一角に、豊川の風光明媚な景色を一望できる場所があった。
  そこに設置されたベンチに腰を下ろす。

  ホテルを出た直後なのに、3人共に公園の登り坂で汗ばんでおり、ベンチでウーロン茶を飲みながら、暫し 朝の城下町を眺めていた。(記念撮影)


  吉田城から眼下を見下ろす 
      
 さぁ 気を引き締めて今日も元気に出発!
 豊橋市内にある二川宿には間もなく到着した。
 ここにある本陣資料館見学は、結構 私たちを楽しませてくれた。
 
 旅人が到着した際の上がりかまちでの洗い」の再現人形を見て、靴を脱ぎ見学。屋内の広いこと。
 数えきれない部屋数、変化に富んだ数々の廊下や床の間・欄間、一段上がった上座もあり、往時の殿様がくつろいだ居間や家来が警備した部屋、多くの資料を集めた陳列ケース設置のコーナー等など。
 そして、本物そっくりの武者人形など、結構みがいのある時間が過ぎた。


二川宿・陣屋跡 吉田宿・資料館1
   

女性たち二人は、きらびやかな大名駕籠に入り、写真撮影したりしてご満悦。
疲れを忘れるひと時だった。

資料館・大名カゴ 吉田宿・資料館2
  
  楽しいひと時を過ごした私たち一行は、次の白須賀宿跡を過ぎ、いよいよ新居関宿に到着した。

  「新居関」は、徳川幕府が重視した有数の関所である。ここでは、「入り鉄砲、出女(でおんな)」を取り締まった所。

    幕府は、全国の大名に参勤交代を命じ、幕府への忠誠を誓わせた。と共に江戸と藩の往復の旅に莫大な経費を使わせて、大名が裕福にならないようにした。そして万一の反乱を防ぐ為に、江戸への武器が入るのを防ぎ、幕府に弓を引くことのないように、人質として奥方(正妻)を江戸の藩邸に常駐させ、逃げ帰らないように厳しく監視した。

新居関・2 

 西の大名、特に有力な外様大名の中には、幕府への強い反感もあり、当然監視の目は厳しくした。

この関所は幕府の直轄の役人を配置して、通行する者を厳しく吟味して、身体検査で隠し持つ武器がないかを調べたり、男装の女性等不審者は、特別な部屋に入れて専従の女性が、身体を検め、詮議したと云う。


 新居関所1 新居関3
   
  
   このように、大規模で大変厳しい関所であった。


浜名湖大橋 浜名湖
  浜名湖・・・海水と真水が合わさるこの湖は、美味しい鰻の産地で知られた所だ。

 
 
 舞阪の松並木 舞阪の松並木2

  浜名湖を通り過ぎてからは、かなり平坦で平凡な道筋だった。 舞阪宿跡を通り、真夏の炎天下をひたすらペタルを踏みながら、三人共無口になっていた。

 

ホテルプケ東海

 
  部屋に荷物つを置くと、我先にホテルを後にした。
 JR浜松駅は新幹線の停まる駅。大きな駅舎だ。入っている店も多い。

 先ず、食べ物の専門店を探す。適当な店に行き当らない。
 仕方なしに、大きなレストランに入った。
 既に、昼過ぎからうなぎを食べる口が出来あっている。「うな重」を注文した。
 
 出てきた料理の「うな重」・・・・やはり、待った甲斐があった。・・・3人共自然に笑顔に変わり、ひたすら口に入れる。・・・・・浜名湖畔の店は、もっと美味しかったかも?

                                  

浜松駅前で夕食  

 

              (本日の出発ー8;50 到着-18:00ころ 走行距離:34.3Km)

 

                                           (つづく)