東海道五十三次 自転車の旅

 8月7日 第4日目 (快晴)


(亀山宿庄野宿石薬師宿四日市宿桑名宿熱田宿)

 

 

   荷物を整え、チェックアウト。駐車場の片隅に止めてあった自転車に荷物を括りつける。           さぁ出発という時、我が愛車のタイヤに異常が・・・パンクである。携帯の修理用具を出して修理にとりかかる。
  予定の出発時間が大幅にずれた。近くの木々からは、蝉の鳴き声がうるさくなっていた。

   先ず、亀山城の小天守、石垣と周辺を観て、R1号線に出る。庄野宿では一休禅師の歌名も高き 誓いも重き 石薬師 瑠璃の光は あらたなりけり” を見、次の石薬師宿も通り抜け、四日市の追分(日永)(東海道と伊勢街道の分岐点)に到着。

    冷たい清水を賞味する。


 亀山城址碑  一休禅師
   

        ここでまたもや同じ愛車がパンク。
       唯一の新品自転車が立て続けに故障となり、ショック、近くの店で修理してもらう。
    走り方・乗り方に問題があるのかなぁ?。
 
    気分転換のため、昼食には″サガミ”に入り、久しぶりに贅沢な食事を摂る。


途中サイクスナップ 日永・追分
  

  桑名城址近くに七里の渡という有名な渡し場(史跡)がある。昔は名古屋の熱田(宮宿)までの7里の船旅だったのでこの名がついたと云う。船旅は危険も多く、陸路も多く利用されたと云う。

   今は、観光案内の立て札だけだが、城下町であり、当時の賑わいを思うと「その手は桑名の焼き蛤」の言葉を思い出す。

 

 七里の渡し 七里の渡し・絵 
 

   群雄割拠・戦国時代の終結は濃尾平野から始まった。木曽・長良・揖斐という大きな三川は、南アルプスの山々から雪解け水や土砂などを運び、広大な扇状の堆積平野を作った。
 
   日本列島の真っただ中に位置ているこの平野は、京にも近く立地条件が良い・天下統一の起点になったことが、分かるような気がする。
 
  国道1号線を再び桑名から東へ走る。

  三川に架かる、一つ一つの大橋を渡る。橋上では、多くの大型貨物車が列を成して行き交う・・・すごい重量感がある。騒音と振動で自転車ごと橋は揺れている。
 
  滑り止めした歩道の鉄板の上を走りながら、手摺ごしに下を見ると、海水と混ざりながらも渦を巻いている水面が見える。、目まいを起こしそうなすごい水量である。、
 
   鉄骨のアーチで守られた、丈夫そうに組まれた長い橋梁が続く
 

河川畔店橋梁を走る 
 

    渡り終えた橋のたもとには昔、繁盛したのだろう、古風なそして丈夫そうな看板を掛けた商店?(今は閉鎖されている)が土ぼこりをかぶって残っていた。
 
  いよいよ、名古屋市に入った。荘厳な熱田神宮本殿に自転車を停め、参拝し、観光。
  
   歴代の天皇の継承には、三種の神器が必要とされてきた。安徳帝が平氏滅亡の際、壇ノ浦で剣と勾玉とともに沈んだ。箱に入った勾玉は浮かび上がったが、剣はなくなった。と云われる
 
   勿論、八咫鏡(やたのかがみ)は天照大神を祭った伊勢神宮に、といわれている。現物は人目につかないが、現在も皇位継承には必要とか。
 
  草なぎの剣は熱田神宮に
保存されていたとか。これも、歴史のロマンである。

 熱田神宮鳥居  熱田神宮本殿 
  
    重い荷物を積んだ3台の自転車は、煩雑な街中に入った。とたんに道は複雑で、なかなか地図通りには進まない。何処で迷ったのか元来た道を引き返すことも。
 
  女性2人も疲れているのだろう、ついに愚痴と泣き言が出だした。疲れている自分も、うまく進めず悔しくて、余計にいらいらしてくる。

  ようやく、予約していたビジネスホテルを新幹線の名古屋駅前で探し当てた!見つかった時間には、既に辺りは薄暗くなり、ネオンも点灯していた。
 
  衣類を着替え、近くのコインランドリーへ直行。・・・そして汗と埃にまみれた衣類は綺麗になった。
   すがすがしい名古屋の夜を迎えた。
  
    3人で小じんまりした店に入り、東京名物「もんじゃ焼き」を体験。
 
  長い1日が無事終わった。
 
                             (出発ー6:40      到着ー18:00       走行距離:72.1Km)
 
                                                                                                    (つづく)