(どうでもいいけどポッキーの日ですねー笑笑)
うわー、これは無駄なく過ごさないとあっという間に年末になっちゃいそう!
記事のアップが年を越さないように…。
水戸ドライブ、続きます。
水戸に行くまで。
恥ずかしながら全く存じ上げなかった方が加倉井砂山先生。


1805年、成沢村の郷士の次男として誕生した砂山先生。
郷士とはいえ、代々成沢村の庄屋を務めるお家柄、幼少の頃から父親、親類などから学問を教わります。
江戸に遊学したく望んでいたけれど、長男が亡くなったことにより家督を継ぐことに。
そこで生まれ故郷の成沢村で、農民やその子息たちの教育に打ち込むことを決意。
父親が自宅で開いていた私塾を受け継いだのが砂山先生20歳の時。
1824年のことでした。
この私塾は日新塾といい、「人は学徳を修めて一日一日新しくならなければならない」という中国の古典から引用された名前です。
なんともストイックな努力家であったことを想像させられますね…。
以来、1855年に病で没するまでここで1000人を超す人たちに学問を授けました。

この場所に学舎があったそうです。
多くの人たちが学問を受け、さまざまな議論を交わし個性を伸ばしていったんですね…。

この日新塾で学んだ人たちの中には後の桜田門外の変に加わった斎藤監物、鯉渕要人や、天狗党の藤田小四郎(藤田東湖、四男)もいました。
また川崎財閥の基礎を作った川崎八右衛門などもここで学びました。
加倉井砂山の教えが幕末を駆け抜けていった門人たちの礎になっていったことは紛れもない事実。
こんな素晴らしい人物がいたことを知ることが出来てほんとに良かった…。
静かにお参りさせて頂きました。

そしてそのお墓のすぐそばにあるのが鹿嶋神社です。


山道を歩くこと10分…。
いや、もう少し近かったかも…。
長雨の影響からか足元悪くて長く感じたっぽい。笑笑



ここには徳川斉昭の扁額、藤田東湖筆の幟が奉納されているそうです。
…見てみたいですが、残念ながら非公開。

古い手水鉢もありました。
当時のものでしょうか。

なんだか加倉井先生オンリーの記事になりました。笑笑
幕末の水戸藩。
そこに流れる思想の原点を垣間見たような気分でした。
お付きあいありがとうございます。
続きはまた。
はい、がんばりますww
では。
ごきげんよう~。
※参考文献 加倉井砂山物語