こんちゃあ。
今日は早めに仕事を済ませ
PC💻と睨めっこ。
まぁ、以前に比べると目の状態は落ちつきましたね。
だから、未だマシかな。
今日は色々調べモノやらリフレッシュの為自宅ではなく、漫画喫茶迄来てます。
でね、何故か日航機の墜落事故の検証番組をYouTubeで見てしまった。
1985年8月13日。
歌手の坂本九さんや
タカラジェンヌさん
阪神タイガースの当時の
球団社長とか500人以上が亡くなってしまった。
日本の航空機史上最悪の事故
でした。
人が殆ど足を踏み入れたことも無いような御巣鷹山山頂付近に
墜落事故を起こすまでの、検証番組でした。
不思議と坂本九さん以外には
客室乗務員の落合さんと当時12才だった川上さんは何故か30数年前なのにしっかり覚えてました。
しかし、もう2人いた生存者の記憶は殆ど無かったですが、4人が生存したことは覚えてました。
ここで初めて残りの生存者の2人が母子だったこと、5人家族の内たった2人だけ生き延びることが出来たんですよね。
500数十人乗っていてたった4人が生き残り、しかも、2人が親子と言う奇跡。
哀しい奇跡ですが。
💧💧💧💧💧💧
救助するにも、35年前は今より追尾システムが精度が悪く、発見迄に情報が錯綜していました
勿論、それまでに機長や空港管制官達の様々な努力や想定をして、羽田空港以外にも緊急着陸出来る体制をしていました。
結局報われなかったけれど…。
自衛隊の精鋭部隊がヘリで御巣鷹山山頂に降り立った時はあまりにも酷い惨状で、生存者がいる可能性は限りなくゼロに近い状況でした。
その頃、地元消防団が麓から歩いて山頂付近を目指していました。
御巣鷹山山頂の手前?
谷に尾翼付近の機体が滑り落ち
ており、そこに地元消防団が辿り着き、微かな残骸の動きから
慌てて掘り起こし、お母さんを発見。
顔面裂傷や複数箇所の骨折など瀕死の状況の中で、娘が居るからそっちを早く助けてと。
母は凄い。
しかし、その後がまだまだ、大変な状況。
山頂付近から300メートル近く
滑落している為、機体の場所から山頂付近迄瀕死の4人を如何に助け上げるか?
装備も万全じゃ無く、足場も悪いから残骸や立木や毛布などを組み合わせた担架を作り、大勢で運び上げると言う難関。
しかも、山頂付近は自衛隊機、民間機、取材班のヘリコプターが錯綜して救助に行けない!
現地に入った救護班の医師が、
自衛隊に直ぐに救助しないとせっかく助かった命が失われると
その場の指揮官ではラチがあかないと、手旗信号をしていた自衛官に直接交渉し、救助ヘリを優先させました。
しかーししかし、子供達をヘリに乗せる時も、川上さんは肋骨が折れ、右腕も骨折している為
安全帯を付けず、全身で抱えて
勇気づけました。
更にお母さんは状態が悪いため担架ごと引き上げる時はかなりスピンしていました。
漸く助かった命ですが、家族は3人を亡くしました。
他にも人の数だけドラマがあり
悲しみがあり、運命が変わった。
たぶん、髭爺と仲良くして頂いているアメ友さんの多くは、この日航機123便の事故は恐らく知らないか?あまり判らないかとは思います。
先日の3.11も髭爺には第2の故郷福島や友人知人が多い宮城、岩手などあまりにも思い出が多過ぎ、敢えて触れてません。
阪神淡路大震災は自分自身が被災し、人生が変わりました。
ただ、阪神淡路大震災は髭爺の中で区切りをつけているから、最近は敢えて触れないのです。
死んだこの歳は数えれないし
過ぎ去った過去には戻れない。
順調だった仕事も、会社も、彼女も戻らない。
だから前を見る。
なんてね………。
昨夜は白ご飯は無しでメインも無し。
胡瓜と大根のピリ辛漬け。
竹輪と大根を足しました。
まずまずかな?
たまの髭爺ドキュメンタリー
如何でした?
笑
でわでわ。

















































