あの時

髭爺は大阪の淀川にほど近いマンションに
住んでました。
当時とある女性とその娘と3人暮らし。


午前5時46分
咄嗟に彼女に覆いかぶさり、真横にテレビが落ちましたが無事でした。
しかし、反対側に娘が居ましたが・・・。
後々娘からチクチク言われました。
ママを庇い、私を見捨てたと。
(笑)
※平成元年生まれだったあの子も、今は母になったと風の噂で聞きましたが、まぁ、一生会うことは無い。
でも、子供がいなかった髭爺に15年父親役をやらせてもらった。
そこは感謝しかない。
毎週お弁当を作り、あちこち出かけました。
雪の石川や夏の離島。
和歌山や京都。
振り返ればたくさん思い出が甦ります。
あっ、死んでませんよ。
(笑)
付き合いというか、接点が無くなったし、新しい家庭に波風は立てたくないしね。
(笑)
※女性は過去はすっかり忘れるから、存在はけされてるかな?
(笑)


髭爺は阪神・淡路大震災で友人知人を亡くし
莫大な負債を負いました。
既に会社を営んでましたから、社員も事務所も
維持するのに、正直死にたくなるくらいでした
デザインや印刷の仕事は思いっきり凹み、マジでお先真っ暗で、30そこそこの髭爺には絶望感しか無かった。


マンションの6階から見える絶望的な風景。


淀川に架かる鉄橋には止まった電車。
その先の神戸方面から立ち上る無数の煙



当時健在だった両親や仲の良かった友人知人
馴染みの店、別れた妻。
色んなことが、ホンマに頭をよぎりました。

テレビにかじりつき、ずっと、ホンマにずっと
神戸の惨状を映してました。
勿論、宝塚や尼崎、伊丹等に加え、震源に近い大阪の都市も被害が出ました。


結局居てもたってもいられず、チャリ🚲に水や食料などを積み、道無き道を果てしなく絶望的な崩壊した家屋やビル、泣き叫ぶ母親や子供を
横目にひたすら押して神戸をめざしました。


瓦礫の道は正直かなり辛く、険しい道でしたが
半日以上かかりましたが、無事親父たちを発見し、別れた妻の実家も無事でした。


そうなると、大阪に残してきた彼女達が心配になり、また、ひたすら戻りましたが、バテて行きの倍くらい時間がかかり、帰宅したら倒れ込みました。


昨年は、ブログには阪神・淡路大震災の事はあげませんでした。
節目?
25年を一区切りで終えようと。



しかし、今朝5時前に目覚めました。
気持ち悪い夢で目覚めたから?


朝ごはんに、何故か?ラーメンを食べているのだけど、足元が何故か水が湧いてて、足首まで浸かりながら、必死にラーメンをすする髭爺。

その横を普通に通勤する、サラリーマン達。


なんか、シュールでした。

四半世紀を過ぎ、俯瞰や全体的に見えるようになったかな。


人の優しさに触れ
人の冷たさを味わい
人に、助けられ
人に、騙され
感謝と絶望を味わった
26年。


言えるのは今生きている。
いや、生かされている。


キワキワで生き残れてる。
まだ、死ぬなと言う事か?


髭爺は恋をしても、愛を注ぐ相手はいません。
口で言っても、なかなかね。


色々ありすぎた人生。
この日だけ振り返ってます。



この日だけ。



明日から怒涛の3日間。
頑張らないとね。

さて、昨夜はビビンバ丼を買ってきました。
野菜が多少食えるから。
サラダに吸い物は作りました。
大根の酢の物クコの実入り。







色々ある思い出振り返り日。


以上。



でわでわ。