毎日、子どもの本読みや計算カード(宿題)を聞く。
娘のピアノの練習に付き合う。
私が走りに行くと言うと、息子がついてくる。
息子の学校の朝顔は今は家で育ててて(休校中に種まきの指示があった)、水やりするように毎朝声をかける。
子どもたちは両親によく、くっついてくる。
どれもこれも、自分の子ども時代にはなかったなあ、とつくづく思う。
時代もあるだろうし、そもそも寛げる家じゃなかったのもあった。
私が小学校の低学年の頃は、シングルベッドに妹と2人で寝ていた。
2人とも小柄だったし、男の子のようにダイナミックな寝相ではないし、2人で寝て窮屈に感じたことはなかった。
ただ、今は毎日、自分の子どもたちと寝て(あるいは娘と夫が一緒に、私と息子が一緒に、と言うように2人ずつに別れて)いて、その違いを感じる。
私は親と一緒に横になって眠るまで気の向くままに喋るなんて、全く記憶にないなあと思う。
そういえば、家から少し離れた公園って、父親がたまにつれて行ってくれたけど、妹と遊ぶのが当たり前で、父と遊んだ記憶はあまりない。
母も然り。
旅行に行ったり、動物園に連れて行ってもらった。
誕生日におもちゃを自分で選んで買ってもらったことも。
それなりに可愛がってもらっていたんだろう。
可愛がられてない、と言う感覚はなかった。
ただ、母の干渉が強かった。
家族間のパワーバランスが偏ってた。
誰も母に意見する人はいなかった。
母の親であった祖父も。
母の夫である父も。
そこに至るまでには致し方のない様々な出来事はあったのだが、母は祖父にとても厳しかった。
母の方が親のようだった。
妻に若くして死なれた祖父は、家事も育児も全くできず、長女だった母のおかげで残された家庭が回った。
いや、今思うと…
母親(私の祖母)が死んで必死だった母が、10代ながら家事に育児に体当たりでやっていて、なりふり構わないと言うか周りが見えないと言うか…
祖父が手伝おうとしても母に拒否されていた面もあったかもしれない。
助けは求めずに、文句は沢山言うような感じで。。。
祖父は母を和らげてあげることはほとんどできなかったみたいだった。
母を黙らせる(一時的にでも)には、祖父はじっと黙って嵐がすぎるのを待つしかなかったのだと思う。
母→祖父と、子どもから親への言動だけど、今で言えば心理的虐待に近いくらいの。。。
その頃は虐待という言葉がメジャーではなかった上に、子から親の虐待という観念はもっとなかったと思うのだけど。
2人の絶対的な関係に父は口を出せなかった。
母は祖父にはいつでも全力で厳しく、誰も意見できず、その怒りっぽさは、しばしば子どもたち(私と妹)にも向けられた。
夫である父にも向けられてはいたが、少しは和らいでいたと思う。
父の方も母のきつさを取り合わなかった。
うまく流せたのではない。
対面できなかったと言う感じ。
父もまた、複雑な家庭で育った、何かをぽろっと落としたまま大きくなったような人(と母は言う。確かに納得する面がある)。
父はあまり(かなり)、人との距離に踏み込まない。
だから、幸い母とぶつからず(母に正対することができず)、家庭が崩壊しなかったと思う。
身体的虐待は(祖父にも私たち子どもにも)なかった。
それは本当に良かった。
ただ、叩かれたりしてるわけじゃないだけに、居づらい感じは表現が難しかった。
目で確認できる虐待があるわけじゃないから。
それは心理的虐待というにも弱い、家族間の緊張、パワーバランスの偏り、やや干渉気味、というところだろうと思う。
幸いだったのは、その家で育った叔母も私も妹も(全員女だ)、実家への居心地の悪さはあるものの、3人が3人ともリラックスできる自分の家庭を持ったことだと思う。
それから、とても複雑な育ちをした2人(父と母)が、やや偏ってはいたが、一応家庭という状態を保っていたこと。
実家の親子関係と我が家の親子関係がかけ離れてるのは、時代のせいもあるし、実家がそう言う窮屈な状態でしかうまく回らなかったと言う事情もあったと思う。