<余談>
小~中学の同級生で
シンちゃんって子が居ました。
シンちゃんは夏休み(お盆)や
冬休みの年末~お正月などの連休の時に
「田舎のおばあちゃんの家に行く」
こう言ってた。
まず、
「お婆ちゃんの家」と言ってたけど
その家はお爺さんが働いて建てた家なので
本来は「お爺さんの家」ってのが正解、
そもそもシンちゃんは間違っているんですが、
シンちゃんはお勉強が出来たので
高校は別の進学校に行ったので
それ以降、音信不通でしたが
高校を卒業するぐらいの頃に
再会します。
その時には
お爺さんが亡くなって
田舎でお婆さん1人に成ってしまうので
家族で田舎に移住する
シンちゃんはこんな事を言って
お婆さんの住む田舎に引っ越して行きました。
「年賀状送るゎ!」
そう言って別れた翌年のお正月
シンちゃんから年賀状が届きます。
シンちゃんから届いた年賀状の住所には
「愛知県 名古屋市 守山区***」
↑こう書かれて居ました。
小学校~中学と散々
「田舎」と言ってたけど
豊橋市より名古屋市の方が都会だぞ!
名古屋市より豊橋市の方が田舎だし!
ヾ(*`Д´*)ノ"
シンちゃんから年賀状を受け取った
同級生全員がそう思った訳です。
(;´∀`)
んで、新年早々、
別の同学年の「健一郎」って奴が
亡くなりました。
カレコレ25年程
交流は無かったのですが
共通の友人がコロナの時に
リターンライダーでバイクに乗り始め
ソイツが度々私の所に来るんで
奴から
「健一郎は体調悪くて入院してる」
とかは聞いていまして、
年明け早々ソイツから
「亡くなった」の知らせが来たので
お通夜だけ顔出して香典だけ届けてきました。
健一郎には
1~2歳上にお姉さんが居ました。
私たちが健一郎の家に遊びに行くと
当時流行った「積み木崩し」を地で行く感じの
ヤンキー姉ちゃんでした。
全ての会話、言葉の最後に
「死ね!」や「馬鹿野郎!」を付ける
とても危険なお姉ちゃんでした。
そのお姉ちゃんは
名前を「絹代(きぬよ)」と言い
本人はそのババ臭い名前が相当キライで
間違って「絹代さん」とか呼んだ日には
死ぬ一歩手前までボコられる!
そんな感じでした。
また、絹代さんの友達(スケバン仲間)に
「みっちゃん」って人が居たんですが、
うっかり間違って
「みっちゃんミチミチうんこタレ」
こんな歌を歌った奴(男)が
髪の毛を掴まれて
15mぐらい引きずられてボコられた
(半殺しにされた)なんて噂も有りました。
2人共、とても狂暴でした。
そんな訳で
健一郎の葬儀なので
当然、姉の絹代さんも葬儀場に居て
40年ブリぐらいに姿を見ましたが、
当時の面影が全くなく
普通のオバサンに成ってました。
(;´∀`)
健一郎のご両親はすでに亡くなって居て
健一郎自身も独身だったので
絹代さんの旦那さん(義理の兄)が
喪主で葬儀を行ってまして。
お通夜の儀式が一通り終了し
葬儀場の中でしばし、
仲間たちと座ってたんですが、
我々の姿を見つけ
絹代姐さんと旦那さんが来て
「今日はありがとね!」のお礼と
「アンタ達、みんな生きてるんだね!」
こんな事も言われました。
まぁ、当時の我々の二輪車活動を見れば
誰もが「すぐ死ぬ」と思ってたでしょうし、
「健一郎も16~7でバイク事故で死ぬと思ってた」
「ココまで生きられるとはねぇ」
こんな事も言って、
チョットだけ昔の話をしてました。
そんな時
絹代姐さんの旦那さんが
「絹代、俺チョットあっちで挨拶してくる」
こう言って、立ち去って行きました。
その後、我々昔の仲間たちは
久々に出会ったのも有って
帰りに近くのファミレスに行って
話し込んでたんですが、
ある友人が突然
「そう言えばお姉さんの旦那さん」
「絹代って本名を言ってたし!」
「しかも呼び捨てだったぞ!!」
こう言い始めます。
「確かに!」
その場、その時には気にもしませんでしたが
~41年前までは「禁句」だった言葉を
平然と何事も無かった様に言ってました。
「中国で天安門事件の話するぐらいヤバイ!」
「ばか!もっと危険だらぁ!」
姐さんの旦那さんは我々の手前
カッコつけて名前を呼び捨てで呼んでましたが、
「今ごろボコボコにされてないか?」
我々一同、非常に心配し、帰路につきました。
(余談・丙午ネタ)
冒頭で名古屋を田舎と言ってたシンちゃん
シンちゃんと仲の良かった同級生で
チョット、色黒の奴が居たんですが
彼は小学生の時「クンタキンテ」と言うあだ名で
中学の時には「ブッシュマン」と言うあだ名でした。
チナミニ、本名は覚えていません。