警察の存在意義 | 読むと頭が悪くなる

警察の存在意義

最初から脱線するが、最近吉野屋が正しかった事を理解した。吉野家では店からでた食い逃げ犯は外まで追いかけていかなくてもいいというマニュアルが存在するという噂があった。変なマニュアルがあるものだと思っていたのだが、どうも利にかなっていたようである。なぜか知らないけれど、スリルのために万引きする人は沢山いるのに食い逃げする人は少ない。ほとんどの食い逃げしようと思う人は、わざわざ吉野家には行かないだろう。もっといいものを食い逃げしようとするんじゃないかな。

さておき、なせ夜のお店はヤクザにみかじめ料を払っているのかという理由が書いてある本があった。一番簡単な例だと、店に来た客がそんな高い料金払えるかとゴネた場合の話がのっていた。金を払わない客に対して警察を呼ぶと警察は来てくれ上手くいけば金を払わなかった客を逮捕してくれる。しかし、民事不介入なので結局飲食料金は取り立ててくれない。結局店は金を払わない客に警察を呼んだとしても、うさは晴れるかもしれないが何の利益も生まない。ヤクザの場合は話が違うらしい。ヤクザは、金を払わない客からきっちり金を回収するのが仕事らしい。警察は、金をとりたててくれないが、ヤクザは金を取り立ててくれるから、夜のお店はヤクザにみかじめ料をはらっているらしい。他にも、似たような事例があるらしい。

さてそれを踏まえて吉野家の対応を考えてみると利にかなっている。上場企業なのでヤクザに頼る事はできないだろう。またあまり強引に食い逃げ客から金を取り立てると今度は自分が警察のお世話になってしまう。その上、警察を呼んだとしても食い逃げ客に金を払わせたりはしない。どちらかといえば警察を呼んだら店員は警察との対応で仕事ができなくなってしまう。結局、吉野家の場合食い逃げ犯を追いかけて捕まえて得られる利益よりそれをする経費の方が高いと考えているんじゃないかね。実際そうだろう。アホほど食い逃げが増えない限り今のままのほうが効率がいいのだろう。


さて、ここへきて警察の存在意義が何か判らなくなってきた。今まで私は、警察は犯人を捕まえてなんぼの商売だと思っていた。多分、多くの警察官や一般市民もそう思っているのではないだろうか。警察は自分たちの仕事の成果を発表する際に検挙率なるものをあげたりしている。では本当に犯人を捕まえる事が警察の存在意義なのだろうか。

言わなくてもわかると思うが、子供を変質者に殺された親がいるとする。警察がいくらがんばって変質者を捕まえようが何をしようが殺された子供は帰ってはこない。多分警察が犯人を捕まえても被害者の親は何も利益を得ない。刑務所にいれられたり死刑になった犯罪者をざまあみろと思うしかない。多分、多くの人が本当に警察に望むのは何の利益も生まない犯人逮捕より、犯罪の発生件数の減少ではないだろうか。

昔は、犯人を沢山逮捕する事で犯罪抑制に繋がった。例えば捕まった犯人は刑務所に入っている間は犯罪を起こさない。また、検挙率が高くなるにしたがって、犯罪をしても捕まって刑務所に入らなければならない、刑務所はいやだから犯罪を止めとこうと思う人もいたと思う。

しかし、今は時代がかわってしまった。最近事務所あらしなど窃盗をしている人たちの間ではこういう考え方をしている人が多いらしい。窃盗をしていればいつかは捕まるだろう。しかし捕まるまでは金に困る事もなく散々放蕩できる。だから窃盗して警察に捕まるまで思う存分楽しもう。外国から来た犯罪者なかには、自分はいつか警察に捕まってしまうだろう、しかし自分が警察に捕まるまでに稼いたお金で故郷に済む家族は不自由なく生活できるようになる。自分は犠牲になるけど故郷の家族のためにがんばろうと。

結局最近の犯罪者のなかに、犯罪をして捕まる事を前提に人生設計を組み立てている人の割合が増えてきた。そういう犯罪者には検挙率なんて何の抑止力にならない。警察は検挙率を上げさえすればいいとおもっている。国民は、犯罪発生数が少なくなればいいと思っている。この溝を早く埋めたほうがいいんじゃないかね。


まあ悲しい現実として、路上駐車にしろ飲酒運転にしろ、している総数は減ってきているはずである。ただ減った理由が警察の力ではなく、法改正の力だということが悲しい。警察は犯罪発生数の抑制には役に立っていないのかもしれない。