はてさて、東京でも桜が咲いております。
と、言ってもワタシの自宅の周りでは全く珍しくもなく。
むしろ『どーだ見やがれわざわざ植えたんだ』とばかりに大通り沿いにドバーっと、もしくは学校にドバーっと咲いておりました。
地区によりますが東京にいると『桜』という存在は人工的にとても『身近』なんですよ実はね。
だから毎年の事なので『これ散ったら毛虫だらけになるんだよぉ…んもぅ!』といううんざりした思いの方が強いです。
桜に見切りをつけたのは、ワタシが産まれる前からあったご近所さんのお庭の大きな桜の木が5、6年前にバッサリいかれた時かもしれません。
理由は『電線に絡んでしまったから』という事でした。
そんな東京の桜には強さは感じます。
今後ろでゲームに一喜一憂している彼女は、カメラマンのはしくれとしてやっているヤツでして。
ワタシが相談しに来たのに彼女の愚痴を聞くハメになってしまった。
『私、カメラやめようと思ってるんだよね』
なんだどーした急に突然に唐突に。
理由を聞いたらどーにもならない事でした。
『機材が良くなりすぎて、誰でもキレイな写真が簡単に撮れてしまう』というものでした。
web上にUPされている景色や草花の写真を見ていて思ったそうです。
専門卒だろうが主婦だろうが子供だろうが『キレイな写真』が撮れてしまう機材。
そしてATMみたいな機械でその場でプリントができてしまう。
まぁ…ね。
デジタルになって性能が充実してマクロもぼかしもAFのみで撮れてしまう。
ワタシはやんわり思う事はありますがそこまで思った事はないです。
彼女はかなり考えている様子で。
理解はできますが反骨精神がほしい所です。
ぼやいてもどーしよーもない。
ワタシに置き換えてみれば、手描きのイラストは全く描けないがPC上では描けてしまう。
んー、ちょっと違うか…度合いが違うな。
だから一言言いました。
そしたらご覧の通り後ろで一喜一憂しております。
この辺が似てるんだよなこいつとは。
ブスなんで事は起きませんよ絶対に。
本人にも言ってますので陰口ではございません。
んー、今これを書いていて、そーゆー形で『報われない』事がどんどん増えるんだろうなぁと思います。
音楽もイラストもArt全般ね。
『簡単にできちゃう事』になってしまったんだよね『できる』事は結果楽しいからさ。
刀鍛冶とか畳職人とかさ、お手軽じゃないし楽しめないよね。
だから一生を賭けて人がやるわけで。
以前LEMSさんがブログに書いていた『何が優れているかよりも、どこが人と違うか。』という事になるんだろうね。
このタイトルの記事の中の一節『もちろん優れた部分も大切ですが、他とは違っている持ち味を表に出す事が重要な事の一つだと思います。』
これにワタシは共感しました。
ワタシも同じ様な事を思って活動しております。
まぁ後からなのでなんとでも言えますでしょうが。
ワタシが彼女に言った事は、キレイなものをキレイに写せるカメラで撮影すればキレイに撮れるのは当たり前で、その写真の中に『キレイだから撮った』じゃなく自分が出せるものが含まれている事が重要で…うんぬんかんぬん。という事です。
正直ワタシも抽象的な感覚なので、言葉にして決めつける表現は避けたかったのですが、日頃思っている本質的な事を言ってあげた方がいいのかなと。
彼女なりに解釈したみたいです。
作品の自信だけはあるみたいです。
自信なんつーもんは後からついてくるもんです。
自信なんつーもんはただの思い込みです。
でもその思い込みで耐えたり保ったり進めたりするもんです。
んームズカシイよねこれって。
機材の進歩は止められないもの。
それはワタシ達にとっても便利になる事は良い事ですし、ワタシは彼女ほど疑問に思っていないのでもっと良くなれと思っていますしデジタル好きだしアナログ好きだし。
帰ったらデジカメ置いてフィルムで撮りに行こう。
東京の桜はたくましいです。

でもこの桜、間もなく切られるんだって。
家主の方がたまたまお庭にいましたのでお話した所、電線ちぎっちゃうからだってさ。
偉い人に言われたみたいです。
ご近所さんと同じ理由でした。
生活にとって桜とはそんなもんです。
もの悲しいね。
久しぶりに色々考えたな。
いっつも考えさせられるな彼女には。
素直すぎるのと直球の言葉がたまにキズです。
でも根底には楽しむという事がありますよ。
良いものは良いんです。
春はね、人間は不安定になるから何かしらの決断をする事に触れてしまうんです。
それが勢いで間違いでも。
キレイに言うと『旅立ち』です。
ワタシはそれを春に感じます。
間違えない様にとね。
さて帰ろう。
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