物欲には抗えず
KATO 5259-1 スエ78 15
Assyパーツで入線させました…(^_^;
偶々見つけた新百合ヶ丘の模型店の通販サイトに在庫がありまして( •̀∀•́ )b
ついポチッとな( 。・ω・。)ノ 凸ポチッ

組立ては至って簡単至極
ガラスパーツが屋根部分と窓枠類に確りと嵌り込んでいることを確認したら
台枠のテールライト部分の突起を車体妻面のテールライト穴に合わせて
車体に台枠を嵌めて押し込むだけです(笑)

台車であるTR73自体は展望車マイテ49以来のモノですが
色々と改良がされていて
初期や中期の製品とは細部で変化が見てとれます。
しかも今回の製品ではスポーク車輪が奢られているという( º言º)

それもその筈ウィキペディアで調べると出てきますが
スエ78 15は元は
スハ32系客車の一車種です。
二等食堂合造車スロシ38000形式として昭和10年(1935)年3月に小倉工場にて竣成し
九州線内にて使用されました。
外観はスロシ最初の丸屋根車です。

日本国有鉄道工作局編集本から引用
室内は食堂と2等室に別れており
2等室は横手転換式座席でした。
スエ78 15は昭和10年に二等食堂合造車スロシ38016として登場した車輌ですが
昭和16(1941)年に称号規程の改正によりスロシ38形となり
昭和16年11月にスロシ38 16に形式変更されます。
スロシ38時代は定員ロ19人、シ18人でした。
昭和19(1944)年には戦局の悪化によりマハシ49形に格下げ改造されました。
マハシ49形に改造後はハ座席56人、立席10人でした。
昭和19年には小倉工場にて調理室付三等車のマハシ49 21に格下げ改造されましたが
小倉空襲を受け被災して昭和21年3月には一旦(書類上)廃車されます。
戦後の昭和22年に三菱重工業の手により3等車オハ77 8として復旧し
戦後の混乱期の輸送に貢献します。
昭和28年6月には称号規程の改正によりオハ78 8に形式変更されますが
新型車輛も沢山傑出してきた昭和29年3月には
住み慣れた小倉客貨車区を離れて秋田客貨車区に転出し
郵便荷物車マユニ78 21に改造されて
郵便荷物合造車の時期を長く過ごします。
そして昭和41年3月に土崎工場にて救援車スエ78 15に改造されて現形式に至っています。
KATO京都店の特製品ですね…φ(..)メモメモ 東京店だとAssy寄せ集めだけで済ませていますけど ひと癖ふた癖ある京都店だと塗替えたり組立てたりして特製品として販売してしまう辺り 関西人の商魂を感じてしまいますね(笑)
何処かのショップの販売品でしょうかね(´σ`) 尼だと購買者の足元を見ているせいか 通常のオンラインショップより倍掛けで販売されている傾向が見受けられますね(´σ`) 因みに送料込でもこの半額位の値段でボクは入手できました(^_^;
スエ78 15に改造後は
昭和61年7月に高崎でEF55が動態復元される際に
イベント用として高崎に転属しましたが
この頃は水切だけで雨トイも縦トイもなく
前位側妻板貫通路は塞がれていましたが
後に雨トイ・縦トイの取付や前位側貫通扉の新設などの改造が行なわれました。
この改造の後も現在では希少な存在となった3軸台車のTR73や戦災復旧車特有の2段窓
側扉の付かないデッキ部など多くの形態的特徴を持っています。
その後は台枠に亀裂が見つかったり
現況にそぐわない車輛構造が災いして廃車解体されてしまったりしたのは
残念としか言い様がありません(´•ω•`)
形式の変遷としては
マハシ49 21 (スロシ38 16) →オハ77 8→オハ78 8→マユニ78 21→スエ78 15

