マイクロエース A0461 115系3500番台 瀬戸内色8両 直流近郊形電車 入線【鉄道模型】 | 毎日書かない業務日報

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ボクが在住する関東圏内には配置の全く無い車輛ですが…
 
国鉄時代末期に2扉クロスシートの近郊形車輛が幾つか開発されて
輸送力の向上や観光需要の掘り起こしに期待された様子がとても羨ましく
関東圏にもこんな2扉クロスシートの近郊形がたとえば
平日は房総ローカルのフリークェンシー運用をこなし
週末には都心に乗り入れて区間快速や区間急行のような扱いで房総半島を走り回る…
 
そんな夢のようなハナシを妄想していたので正直な話
ネットオークションでリーズナブルな価格で売り出されていたのを見た時は小躍りして歓喜したのでした。
 
 
昭和57(1982)年
「広島シティ電車」の名のもとに広島地区で短編成化・高頻度運転が始まりました。
 
この時に登場したのが115系3000番台で4両編成6本とクハが別に
トイレ付3000番台15両とトイレ無3100番台15両の合計30両が製造されました。
 
当該模型はトイレ付3000番台とトイレ無3100番台のクハに
中間モハユニットを117系のモハユニットから編入した3500番台を組み込んだものです。
 
 
そしてこの「瀬戸内色」と呼ばれるシンプルな塗装は好感が持てますよね。
 
このシンプルな「瀬戸内色」を再現して
中間モハユニットは117系から編入の3500番台であるということが
この模型の最大の特徴になります。
 
 
この模型の編成は
←岡山・三石
クハ115(-3118)-PMモハ115(-3502)-モハ114(-3502)-クハ115(-3018)+クハ115(-3121)-PTモハ115(-3509)-モハ114(-3509)-クハ115(-3021)
 
 
ステッカーは
側面・・・「快速 岡山」「快速 小郡」「快速 下関」「岩国」「広島」
前面・・・「快速」
以上が含まれていますが…
実際には「快速」の前面幕は使用していません。
 
 
115系3000番台は昔から改造ネタとして多くの作例が残されていました。
 
117系から改造して作るものが多いのですが
まさに実物が1991~93年度に地方線区に転配・短編成化のために余剰となった
117系の中間モハユニットから115系に編入されたというおもしろい例でした。
 
 
ただこの「瀬戸内色」は
3000番台が「広島快速色」に塗り替えを開始したのが1993年で
そのために3500番台の「瀬戸内色」は実はわずか1年程度しか見ることができませんでした。
 
 
さて話が前後しますが
冒頭で「クハを余計に作った」と記述しましたが
登場時はモハ111と110を組み込んでいた編成が本家の完全編成よりも多く(15編成)存在しました。
 
 
種明かしをすると6両→4両に短縮をしたときの中間車を
色もそのまま組み込んだというわけでそのクハは「冷房準備車」で登場しました。
 
いや前を見たら「新車」だと思ったら
湘南色の「ボロ」が中間車だった…と
この編成を見たら前後の新車に乗客が走っていった。
 
という笑い話もあったようです。
 
さすがに見栄えも悪いので当時の広鉄局は
中間車のモハ111と110の色も「瀬戸内色」にし始めましたが
今度は運転士から
「抑速ブレーキが使えるか使えないかわからない」
という苦情が来て中止されました。
 
車両の色というのは乗客のみならず
乗務員や検修担当者にも重要な意味をなしているという話でした…。
 
ちなみに
翌年の昭和58(1983)年には3000番台の中間車が6ユニット新製され
その他115系のモハユニットを編入して民営化までには111系のモハユニットは消滅しています。
 
その後モハユニットの取り替え用にこの模型のような3500番台が登場したというわけです。