ここ数日寝たままで、話もできずにいたから
そろそろ最期の時が来たのかな…
そんなことを思っていたら、今朝病院から
「呼吸が危なくなってきてるのですぐ来てください。」って電話があったので
かっ飛ばして走り
エレベーターも待てず
ダッシュ
💨で駆け上がり部屋に入ったら
電話をくれた看護師さんが、父のそばにいてくれて、最期の一瞬に間に合うことができ声をかけることができました。
(素敵なお供えのお花をいただきました
)
後から聞いたら、一度心臓は止まったんだそうです。
私が到着したら、また少し心臓が動き出して
私の声を聞いてからゆっくりと息を引き取ったらしいです。
この3か月、父と一緒に過ごし看護をすることができました。
思い起こせば、ミュージシャンだった時の父は多忙でほぼ家には居なくて、自営していた時は私が家にはほぼ居なくて、サラリーマンになったら単身赴任で、定年退職したと思ったら私がインドネシアに行き、ほぼ離れて暮らしていた親子でした(笑)
離れていても、繋がっていて父の思うことや考えていることが分かるので、二人でいつもその偶然たる物に笑っていました![]()
なんて言うのかな、言葉に出さなくても次にやりたいことが分かるから先に手が出てる。
それが、父も私もお互いに…です![]()
看護してる時も、何が言いたくて何がしたいか分かるから先に先に私が動くから、父はいつも
「自分でできるから、いいよ。」って(笑)
「入院してから、時が止まってしまった。」と父が言った時は、入院早まったかな。と少し思ったんだけど、状態みてたら家で私が看護してたら
ずっと自分でなんでもやっちゃってただろうからこれでよかったんだと思ってる。
父は、2日前まで自分でトイレに行ってたし
弱音も一切言わない強い人でした。
呼吸苦以外は、意識もはっきりしてるし
看護師さんを笑わしたり、病人なのに気を遣ってる気丈な人でした。
最期の一瞬にそばに居させてくれた父に感謝してます。
母の時は、長男がまだ生まれて半年だったので
沐浴に父と帰宅した矢先に電話があり息を引き取ったと連絡があったので、看取ることができなかったので、父の時は間に合って良かった
父は、葬儀を拒んでたのでお別れ会をしてお見送りをし、いろいろな手続きが終わり次第、インドネシアに戻ろうと思います。
パパ、良く頑張ったね❣️
最後まで、私に迷惑をかけないように気を遣って…
息苦しかったよね。
私のために、余命宣告よりも頑張って長く生きてくれてありがとう![]()
決して良い子ではない娘でしたが、パパの子で良かった![]()
これからも、しっかりと見届けてね。
今まで、娘でいさせてくれて
ありがとう![]()
令和8年7月6日84歳の生涯を閉じた父へ
ブログをいつも楽しみに読んでくれて
ありがとう
