午後、協力工場への挨拶回りに伺った。
当社が取引上では『客』の立場になる協力工場との関係。
しかし、もう後数日ですが、今年を無事に終えることが出来たのは、紛れも無く協力工場各社様のお陰。
お客様と比較対照には出来ないが、お客様は努力次第で自分から掴む事が出来る。
しかし、協力工場が無ければ、当社の『存在』すらないかもしれない。
先日、社長と打ち合わせた結果、当社のこういった姿勢ともっと態度に表していこうということなり、材料商社も含め挨拶回りをすることにした。
今日、お伺いしたのは孔加工をされているT社、研磨加工をされているK社、材料を仕入れているS社、その途中で数年取引は無いが、異業種交流会でも接点のあるT社。
孔加工をされているT社は社長様と4年か5年ぶりくらいにお会いしたが、その事を覚えていただいていた。
「立派になったなぁ。取引先の後継者の中では自分ともう一人がよく仕事の事を聞きに電話してきて、仕事の事をよく聞く人は絶対立派になると思ったけど、ほんまに立派になったわ~」とお褒めの言葉をいただいた。
当社の姿勢として、不明な点はすぐ確認するようにと口酸っぱく言っているので、色々な事を問い合わせるので、このような言葉はホントに嬉しかった。
帰社後、新入社員のフォロー。
ミスに気付いたのが21時を過ぎていたので、社員を帰し、後を引き継ぐ。
時間的なこともあったが、原因などをよく考えてほしいと思ったから、帰した。
気持ちが伝わるといいな。
帰宅後、テレビをつけると『末期ガンになったIT社長からの手紙』がベストセラーになっている藤田憲一社長の特集がされていた。
この方は10月12日に癌で亡くなられているが、IT社長として全てが上手くいっている時に癌で余命宣告を受け、闘病生活を前向きに生きられていて、僕も読んでみたいと思っている本の著者。
7月にも特集が組まれていたのを観た。
余命宣告を受けてからの生活をドキュメント形式で特集が組まれていた。
どんどん、痩せていかれる中、前向きに生きられている姿を包み隠さず放送されていた。
ご両親が東京に転職してまで、看病しに来られて、そのご両親に対して、「最高の環境を用意してあげたい」と自分の事もあるのに気を使ってあげたり、闘病の間にも色々な地域で講義をされたり、自分がそういう状況になったら、こんなに強く生きれるかなと思うくらい、前向きに生きておられた。
再来年完成予定の高層マンションの最上階を購入し、最後まで病魔に負けずに闘病生活を送られていた。
亡くなられる直前まで暫くの間も、自分がご両親にあたってしまうのが嫌で、近所に住んでいるご両親とも会わなかった事も放送されていた。
亡くなる2日前の姿も放送されていたが、直視できないくらいのやせ衰えた姿になっていた。
親友のKさんの会社の事務員さんも先日同じ36歳で亡くなられた。
携帯を配達してもらったことのある母に先日その事を伝えると涙を流していた。
S社の協力工場会議のメンバーでもあるN社の社長も今年亡くなられた。
人生を考える事が多くなったこの年頃、悔いのないように生きなければならないと再確認した番組だった。
この方のBLOGは以下のアドレスです。