今日、BLOGを読み返していると、数ヶ月間の日記だが結構な量の思い出がある事に気づきました。
ホント、日記を書くことの重要さを改めて認識しました。
付き合いの深い友達は知っているが、親から言われて小学校の6年間ほぼ毎日日記を書かされていた。
当の本人は毎日書くことに凄く抵抗を感じていたが、何とか6年まで書く事ができた。
お陰で勉強は出来なかったのに作文だけは人が1時間かけて書く事を10分もあれば、書き上げていた。
最近感じたが、日記を書くことで養える能力は文章力だけではなく、想像力、コミュニケーション能力、創造力、感受性など仕事と言わずに、プライベートでも必要な能力が養われると思う。
自分自身、他人より感受性は強いと思っている。
辞書で引くと、感受性とは『外界の刺激や印象を感じ取ることができる働き』とある。
1の情報量で1感じる人もいれば、1の情報量で10や人によれば、100感じる人もいるだろう。
著名人や成功者の話や本を読むと、共通して感受性を感じる。
悪く言えば、『考えすぎる』という風に取られる人もいるが、昨日お会いした柳本さんも感受性が強い人だと感じ、感受性の話にもなった。
感受性が強いからか、その日記に記している『思い出』など、出来事から感じる感受性を大事にしていきたい。
感受性の無い人と話すと言った事の情報量の1をそのままの1しか伝わらない事がある。
伝える者にも問題があるし、聞くがわにも両方問題があるのだろう。
しかし、1の情報量から5も10も人によれば100も感じれるのに勿体無いなって思うことがある。
話が噛み合わない事って世間ではたくさんあるが、この感受性の違いから噛み合っていないことって多い。
噛み合っていない時って、理解していない人も悪気があるわけではなく、理解しようとしているのだが、感受性の強い人から発せられる言葉が、意味不明な言葉に聞こえているのだろう。
僕は前にも書いたが、夢の一つに『世界1周旅行』に行きたいという事がある。
若い間には感じなかった事。
『お金』だけで簡単に行けるとは思わない。
日本の豪華客船に乗っていく旅行などは3ヶ月間、船に乗っていくらしい。
という事は時間も必要だし、多分審査も必要だし、何よりもその旅行の先々で感じる『感受性』があるかないかでその旅行が掛けた金額の2倍にも3倍にもなるんだろう。
一緒に行く人もその旅行を楽しむためには重要な要素だろう。
その夢である旅行に対して、BLOGで簡単に書けない想いや夢という理由もたくさんある。
いっぱい、夢はあるが、この夢もホントに日々苦しい時にモチベーションに変わるくらい、達成には時間が掛かるだろうと思う。
でも、『世界1周旅行に行きたい』と言うと、ただ「楽しみたい」と言うだけに取られてしまう事がある。
想いを伝えるって難しい・・・。
昔は車など、有形の物にしか、興味が無く、『思い出』など無形の物には興味が無かった。
今も車は好きだが、それと同様に無形の物にも興味が感じれるようになってきた。
色々な人に夢を聞くことが多いが、「う~ん、無いなぁ」とか「う~ん」と考えてしまう人が多いと思う。
その中で答える事が出来る人がいても、聞いただけでは「それって夢?」と感じる事を言われる事もあるかもしれない。
でも、しっかり感受性を持って、その人が本当に伝えたい事は何かって事を感じれる人間でありたいと思うし、これからも感受性を大事に養っていきたいと思う。