2月24日に訪れた福島で入院をしなかった私は再び最初の大学病院に連絡を入れ

次に狙いを定めていた“超選択的動注化学療法“をしている病院の紹介状をもらい

3月1日に横浜の大学病院を訪れました。

 

この病院も規模が大きく今度こそ良い先生に巡り会えるよう祈りながら順番を待っていた。

やっと診察室へ呼ばれ、現れたのは星野源を頼りなくした感じの研修医でした。

うーむココでもやはり研修医の練習台になるのか、という憤りを抑えながら

問診や採血などを経て数人の医師を紹介されながら検査と説明をされていきました。

 

やっとベテランと思われる博多大吉似の先生が現れ、私が外科手術より

動注治療を希望してやってきた事を確認すると、動注治療がいかに抗がん剤によるデメリットが多いかという説明を始めました。

福島の病院では比較的すぐに治療出来るし動注治療のデメリットは気にしなくて大丈夫と

ここの病院の説明とは正反対の回答だったので余計に驚きました。

年齢が若く舌を半分切れば済む人には外科手術を勧めているらしい。

 

やはり動注治療は外科手術をどうしてもしたくない人向けの治療法なのだと

改めて知らされた私は自分に放射線や抗がん剤の副作用のデメリットを了承するだけの

意思の強さが無い事に悩まされる事になってしまいました。

 

そして何より残念な事はこの病院では手術をするにしても4月までスケジュールに空きがなく

選択的動注治療をするにも3月末からしか始められない、と淡々とした説明がありました。

 

一体何故このスケジュールでこの病院は私の紹介状を受け入れたんだろうか。。。

 

外科手術をするにしても他の病院、動注治療をするにも3月末からという

進行性のがんなのに誰も時間のリミットに対するアドバイスはしてもらえませんでした。

 

結局振り出しに戻ってしまった私は3月8日に決断する猶予をもらい病院を後にしました。

 

次回 ついに手術を決断して最後の病院へ向かう編へ つづく