父は、お酒の好きな、食通な人で、
友人を大切にする明治生まれの九州男児でした。
父が一番ご機嫌な時、
それは、
このおじさまが東京からいらした時だったように思います。
昨夜、父の思い出を探していたら
父の葬儀の為に
達筆で書かれた
父の旧友の松嶋静雄さまからの
弔辞が出てきました。
自分の葬儀で
旧友にわざわざ東京より脚を運んでもらい
弔辞を読んでもらえた父は
とてもとても恵まれてしあわせでした。
そして、旧友の為に、
弔辞を頼まれた松嶋静雄おじさまの
お気持ちを考えると胸が苦しくなりました。
弔辞を頼まれたとしたら?
きちんと書けるでしょうか?
読めるでしょうか?
精神的に大丈夫でしょうか?
そんな気持ちで、
私は昨夜久しぶりに、
40年前の松嶋静雄おじさまからの弔辞を
広げてみました。
⇩
長い長い巻き物のような和紙と
達筆な筆の文章がでてきました。
✨父と、松嶋静雄さんは
福岡県立三池中学校よりの大の仲良しでした。
上京し、大学を卒業し、
父は三井、
松嶋さんは都庁に就職し、
その後も
ずうっと交友を深めてきたこと、
✨若い時はずいぶん
父の両親つまり、わたしの祖父母にお世話になった事などで、文章は始まっています。
読んでみてわかったことがあります。
以前のわたしの記憶では
何と言っても40年前のこと、
曖昧なものばかりでした。
読んでみて
わかったことは、
✨父が他界する1週間前
松嶋静雄さんが
父に逢いに東京から名古屋へわざわざ来てくださっていた事。
✨その時ちょうど、
私の日本舞踊の大きな発表会があり、
『松竹梅』を私が踊った事。
✨もうすでに、体調悪く、
会場に行けない父の代わりに
松嶋さんがわざわざ
写真撮影と8ミリビデオを持ってきてくださり、録画する為に
会場に入ってくださったこと。
松嶋静雄さまが会場から映してくださった写真です。
✨最後に父が細く痩せた右の手で
精いっぱいの力で
松嶋さんの手を握り、
二人は最後の固い握手をしたこと。
✨父は私の晴れ舞台の写真とビデオの仕上がりを待たずに旅立ったこと。
✨松嶋さんが急いで作り上げて、
東京からもってきてくださいましたが、
父の死に目に間に合わなかったこと。
松嶋静雄さんの文章には
✨「霊あれば、
身体全体で、思う存分、
広い舞台を狭しと踊っている君の満恵さんを、
松竹梅の晴れ姿を
この8ミリ映画で見てください。
これは
✨今まで何一つできなかった君へ贈り物!
✨ただ一人残った老友人からの贈り物で
精いっぱい父を想ってお書きいただきました文章の弔辞は、とても綺麗な手書きで墨で書かれていました。
素晴らしいです!
ただただ感謝です。
父と父の周りを想ってくださった
松嶋静雄おじさまのお気持ちに感謝です!
父が生涯を通じて
素晴らしい友情がありましたこと、
ほんとうにうらやましく、
ほんとうにすばらしく、
ほんとうに有難く、
あらためて思います。
その後も私が留学する際に
東京でお見送りくださり
ご飯をご一緒したり
何度かお目にかかる機会がありました。
いま、思えば
中学生だった私は
松嶋静雄おじさまに
きちんとお礼もいえないまま
今まで過ごしておりました。
ごめんなさいね。
有難うございます。
感謝しています。
お許しくださいね。
40年の時を経て
松嶋のおじさま、
ほんとうにどうも有難うございました!
もしも
父、稲津晶雄がまだ生きていましたら109歳、
松嶋静雄さまが110歳と思います。
天国で仲良くお酒を酌み交わしているでしょう。
松嶋のおじさまがいらして
父の人生が面白いものになったことは
間違いありません。
父がいて、
今ここに私が居ます!
あらためて
お二人の存在に感謝します!
パパ有難う!
松嶋のおじさま、
ほんとうにどうも、有難うございます!
満恵より






