4年前、東北の震災で被災した友人。
本人も津波にのまれ、荒ぶる海水の中でお祖母様と繋いだ手を引き剥がされ、2日後に避難した学校の校庭でお祖母様は見つかった。
数日間、外部との連絡手段もなく、ほぼ外での避難生活。
そして数週間後に、行方不明だったお母様が遺体収容所となった体育館から見つかった。
家は跡形もなく、たくさんの思い出も流された。
そんな壮絶な過去を経験した彼女。
昨日は普通に仕事や恋愛の話もしながら、その出来事が彼女の軸を大きく変えたことが分かりました。
今でも辛いに違いないけれど、前を向こうと必死に生きる彼女に本当の強さを見た気がしました。
そして色々と心情も教えてもらいました。
震災時、仕事で仙台にいて津波を見ていないお父様と妹さん。
近所にいて、高台から津波を見ていたお兄さん。
実際に津波に飲まれた友人。
みんな大切な人を亡くしたことに変わりはないのだけど、その経験によって家族のなかでも温度差があるようで、それが辛かった、と。
そして震災の時期になると、各地でチャリティーのイベントやドラマが始まる。
ニュースでも当時の映像が繰り返し流れる。
応援してくれる気持ちは嬉しいけれど、それを見ることにより、思い出したくないことまで思い出させられてしまうのが現実。
だから、テレビはつけないし、イベントにも行けない。
本当に辛い体験をした人は
しんみりとした過去を思い出すような歌は聴きたくないですよね。
過去を受け入れたり、忘れるかして一生懸命前を向いて生きようとしているのだから。
がむしゃらに明るくて楽しいほうが、前を向けるんだ、って。
確かに。
家を、故郷を、家族を失った人に「ふるさと」を聞かせても辛い思いをさせてしまうだけなのかも。
もちろん、色々な考え方の人がいると思いますが。
今年から心魂の活動で、東北にいる難病の子供たちのいる病院や施設、そして被災地へと向かいます。
その時に何を届けるか、色々考える良い機会になりました。
被災地とか意識しすぎず、純粋に『本物のパフォーマンスを届ける』という心魂の真髄を大切に、たくさんの方に笑顔になってもらえるようなものを作りたいと思いました。
友人は東京に出てきていますが、仙台に家族がいるから色々と協力をしたい、と。
被災地の仮設住宅に住む人たちや病院の子供たちの元へ心魂が訪れたらきっと喜んでくれる、と言ってくれました。
彼女と再会できたこと、繋がっていられることが本当に嬉しいです。
「4年前、わたしは死んでいたかもしれない。
死んでもおかしくない状況だった。
その後に出会った人たちは、もしかしたら自分の人生で出会えない人たちだったかもしれない。
そう考えると、一つ一つが奇跡の出来事に思える。」
そして、何もない普通の暮らしが一番有難い、と。
わたしと彼女は元々思考が似ているので色々と共感する部分はあるのですが、やっぱり最終的に…
人生はいつ何があるか分からない。
最期に笑えるように、今を生きる。
で、まとまりました。
いつもの流れ(笑)
一日なんてあっという間に過ぎていくけれど、今日という日は二度と戻らないし、「今」が人生の中で常に一番若い時だから。
小さな心配ごとや迷いにとらわれず、前を向いて進もうと思いました。
好きなことをしながら、大好きな仲間たちに囲まれて生きているわたしは相当の幸せ者ですね。
今の気持ちを忘れないように、ここに記録しておきます。
読んでくださってありがとうございました^ ^
みなさんにたくさんの幸せな出会いと出来事が訪れますように!
Shiho
