ようやく姉妹のみ落ち着いてきたので、落ち着くために記録。


えーと。
念のため、お断りしておきます。


今回は、かなり鬱になること間違いないです。
そして読まれる方によっては嫌悪感を生じる、グロテスクととられる表現も出てまいります。
あくまで「日々の記録」的ブログで、他者に見せる目的で書いてませんので、白字記録いたします。
反転して読むのであれば、自己責任で。自己責任でよろしくお願いいたします。一部ガラケー等、文字色のきかない機器でお読みの方は、スクロール自己責任で読み進めてください。
あ、食事中は厳禁で。



一部友人知人には、ツイッターでお察しの方もいると思います。
伯父(母の兄)が、亡くなりました。
正確には、「亡くなっているのが見つかった」。
第一発見者は、母でした。
毎日とっていた連絡が1週間つかなくなり、「どうせまた携帯落としたんだろ」と思い、文句を言って帰ってくるつもりで行ったのですが、時既に遅し。リビングに倒れる形で、伯父は息を引き取っていたそうです。
早い話が「変死」扱いなので、警察の事情聴取受けるわ、洗いざらい調べられるわ。最後の通話記録が発見6日前、検死の結果は発見の4日前に亡くなったんじゃないか、という「見立て」。事件性はないので、それ以上調べるには解剖、という話になったそうで、そこで切り上げてきたとのこと。
全部、聞き伝えの話です。なぜなら、櫻だけ新潟に残っていたから。関東組は呼び出されてましたが、櫻は「仕事行け」と。来ても意味ない、むしろ待つ方がそわそわするから、という両親の決定でした。
だから、現実を見たのは、棺に収まって運ばれてきてから。母の一言「おじちゃんが死んだ!」のCメールでは疑問符状態、父に電話確認して事実と知り、一晩嘘か真かわからない状態で独りで過ごし、翌日は仕事中に遺体搬送の一報を受けて自主的に時間休で帰宅、その時に家に戻ってきた母と妹と一緒に斎場に行き、ようやく「本当なんだ」と。

壮絶でした。苦悶の表情、とでも言いましょうか、口元の皮膚がめくれあがり、歯を食いしばったような表情で、髪は乱れ、目はうっすら開き、死に化粧なんて一切ない、傷みきったその姿を、生前の伯父と一致させることは難しかった。唯一、母方の祖父母の……特に、祖母が亡くなった時の表情とよく似ていたことが、伯父だ、と理解させました。
「静かな死なんてない」というフレーズがよぎりました。
認めたくないけど認めなきゃいけない、だからさっさと燃して送ってしまいたい、とすら考えた。
だから関東組は解剖までしなくていい、て思ったんだな、とも理解。解剖はもう一日待つことになるそうです。どんどん崩れていくのは、もう見ていられなかったんだな、と。
実際、私が見た姿は、東京で見た姿よりもっと傷んでいたそうです。

死因は、「アルコール依存症による慢性肝炎」との「検死結果」。ただ、決定、ではないらしいです。そこをしっかり見るには、やはり解剖なのだ、と。

さて。伯父はここ数年、アルコール依存症の気がありました。
ただ、私と姉は、「認知症状が先か、依存症が先か」状態。親は「アルコールのせいでバカになった」とよくぼやいてましたが、個人的には認知症の症状っぽいものがでて、それが起因してアルコール依存になった気がしています。
なぜなら、認知症になった祖母が、いきなり糖分過剰摂取になった状態に似ているから。
そしてそのころ、妙に会話がかみ合わないとか、姉に急に怒鳴り散らすとか、認知症の症状に近いものが出ていたから。
その頃にちょうど定年退職になり、それから、緊張の糸が切れたのか、単身ヨーロッパ長期旅行行ってみたり、外車買ってみたり、プレゼントが豪快になったり、姉曰く「大はしゃぎ」。
一方、アルコールと、医者処方の睡眠導入剤を同時に飲んで、朦朧としてることもあった。夕方に電話かけて「おはよう」って言ってきたり。だんだん足元がおぼつかなくなり、つねに千鳥足になり、転んで搬送された、と本人がけろっと話した時には、あきれて何も言えなくなった。
こちらも離れて住んでいる身、あちらも週数回ながらまだ会社勤めの身、電話口や、実家に来た際に幾度も注意をしたけど、伯父からすれば我々は「妹とその家族」で、格下が何を言いやがる、という態度。
こちらもまいってきて、どんどん疎遠になりつつありました。医者には定期的に通ってるし、なんかありゃ職場が連絡してくるだろう、という、伯父が「社会にいる人間」ということもありました。
それを甘えと取りたいなら取ればよい。ほかの打開策を、甘い空想抜きで言えるなら言ってみろ。無職の独居老人なら地元にひっぱってきたけど、半端に社会に身を置く人間を、そして本人が問題ないと言い張る状況で、どう手を出せと。
「認知症は治せる。家族がどうにかしなきゃならないけど言うこと聞いてくんないから施設入れたい」という発想の当時の友人とは1人、その辺のこともあってずれが生じ、今は縁を切りました。
事が動いたのは、転んで搬送された病院から、うちに電話がきて、アルコール依存を公的な目で指摘してくれたからです。両親が出向き、医者の紹介で依存症の専門病院を受診。これだけでも大きかった。
伯父はそこでもカウンセラーに「自分は問題ない。酒もやめる気ない」と言い張ったそうなので。病院も「まだ入院までいかないレベルだから、とりあえず通院」と、家のそばの病院をまた紹介して、通院専門の病院へ。
一応その際に、母と約束し、毎日電話すること、と取り決めてきたそうですが、このときはこれは守られず、3日や5日に1回とか、少ない頻度。でも本人は「毎日3時にかけてるんだ」という。着信履歴では頻度もさることながら、真夜中だったり朝方だったり。短気も出て、5回コールくらいで出なきゃ切る。母は常にイライラしてました。
あまりに連絡が少なく、両親でゲリラ訪問して問いただしたこともあった。でも状況は変わらず。


10月に一度、ゲリラ訪問した母は、部屋の中で全裸で倒れている伯父を見つけました。
鍵を所持していないため、警察と管理会社立会いのもと開けたら、発見。早急に搬送。アルコールによる一時的なもの、と診断され、翌々日には退院のはこびとなりました。
数日母が一緒におり、身の回りの片付けや確実な連絡、通院状況報告を約束して、その時は一件落着。家族中で大騒ぎしたのに、本人は「ちょっと妹に迷惑かけた」としか発言しなかったという。
ただ、それから、酒は相変わらず呑んでいるものの、毎日きちんと電話してきて、杖を買ったり、通院続けていたり、映画に出かけるなど少々趣味的なものも始め、こちらとしては「現状維持かやや上向き」くらいに感じてた。落ちなければいいよ、という気持ちでいました。会社もこの年限りで契約が切れる、という話を聞き、もうこっち帰って来たら、という話も少しずつしてました。
正月、家族でそろっているところに電話が来て、少しずつしゃべったのが、櫻との最後の会話になりました。

酒が進んでから、伯父とは実家に来たときくらいしか対面しませんでしたが、とにかく話聞いてほしいとか、さびしいとか、そういった印象を受けました。我々姉妹がだんだん忙しくなって、突発的な伯父の誘いに対応できなくなったのもまた一因でないか、とも思います。
それも酒を進めた一因だと、だれもが思ってます。何せ、酒を飲みに出かけた場所は、晩年はキャバクラだから。それがまた、疎遠になる理由の一つでもあったんだけど。

葬儀式は祖父母の兄弟、本人および母の従兄弟たちが来て送ってくれました。
昔から母たち兄妹を知るみなさん、母を気遣って、ねぎらってくれて、恨み言は一切なく、穏やかに送ることができました。
エンバーミングで顔も穏やかな表情にしてもらえました。プロの技すごい。
エンバーミング自体は「湯灌の代わりに体をきれいにして防腐処理をする」ものらしいのですが、伯父の場合は傷みがひどかったので、顔を整える、まででした。
整えてもらった顔は祖母にも祖父にもよく似た表情で、やっぱ親子なんだなとみなさん口々におっしゃってました。
葬式の時点で初七日だったんで、通夜→葬式→初七日→段崩しのフルコース(?)。
その間に、身体から魂が抜けて「モノ」になる、という感覚を得ました。この世の別れ、という感覚に。これは過去7回の葬儀式で初めての経験だったなぁ。この身はまだ生きていて還ってくるんじゃないか、と思う経験はあったけど。やはり壮絶なものを見たからか。
あと、初七日の読経のとき、祖母の影が見えた気がしました。……いた?

今回の事を、少しだけ前向きにとらえるなら、好きなことやって、好きな酒飲んで、よく見知った叔父さん叔母さん従兄弟連に送ってもらえて。会社からたくさん形式的ではない弔電もらえるくらい慕ってもらえて(それどころか会社はとにかく出席したいとギリギリまで粘りまくってた。理由はわからんけど)。
自分や周りがわからなくなるくらいひどいことになる前でよかったんじゃないか。

生涯独身だった伯父は、私ら姉妹にとっては第二の父親のようなものでもあり、いろんな経験をさせてもらいました。だから、姉妹みんな、心のどこかでうっすらと、この伯父の老後の世話や、自分の孫の相手を考えていたんです。
伯父がこの状況になってからも、妹や姉とよく相談しました。
妹は結婚式に出席してほしい気持ちと、現実的に難しい気持ちとで揺らいでました。

本音を言えば、今回の件、「こんだけ依存症状で振り回しといて最期までこれか!」という気持ちがないわけじゃない。
警察のお世話になるわ、東京→新潟間の遺体搬送になるわ、書類も身の回りのものもごちゃごちゃでどう片付けたらいいやらだわ、むしろ会社在籍中で「俺みんなに送ってもらえるうちに逝くわ!」みたいな、どんだけさみしがり屋こじらせてんのさこの人、とも葬儀のドタバタの中混乱しながら考えた。
生前の行い含め、先に他界した祖父母にみっちり叱ってもらえ、と。
むしろ現実を受け止めてないときは、こっちが先立ってた気がします。
今も片付けには苦しんでるけど、本人に対してはちゃんと手を合わせて祈れるかな、という気持ちでいます。
それが前記事で書いたあの言葉ですね。

おじちゃん、ありがとう。どうぞ安らかに。



長文・雑記失礼いたしました。
そして不謹慎に取られるかもしれないつぶやきで気を悪くした友人知人がいたら失礼しました。