明日は祖母の祥月命日。

と、仕事に追われながら気づいた。



んだけども、しんみりした日記を書きたくはないので、茶化しながら。




思えば、最後の入院をして結構すぐ新潟に帰省していたんだけど、いつ病院から連絡がくるか恐くて殆ど家で眠れない日々だった。

んで、病院ついて安心すると空きベッドでぐーすか寝てたりしたんだが……(汗)

(※本当は病院の空きベッドでは寝てはいけないそうなのでマネしないでね。付き添いの人の寝床は簡易ベッドです)

結局四十九日が終わるくらいまで毎日がどたばたと過ぎていった気がする。

それ以降は本当に月日が流れるのが遅くて、「まだ@ヶ月」って皆で言ってたっけね。ようやっと1年か、て気がする。



いつどうなるか全く見当がつかない日々であったので、伯母と母と交代で付き添い、最後は下がり続ける血圧に怯えてたっけ。それがちょうど一年前の今日。

血圧は30分くらいずつで自動で測る機械をつけられていて、血圧の上が60だか50だかを切ると、数値が点滅しだして、危険領域ということがすぐわかるものだったと思う。

それがちょうど点滅しはじめて、看護師さんに「今日がヤマ」ということを言われた直後くらいのこと。関東に戻っていた姉と妹を呼ぼうと決めて、やっとこさ連絡が取れ、とにかく姉と妹が到着するのは待ってくれ、と祈り続け緊迫していたところ。

同じく連絡していた、近場に住む親戚の、祖父の妹さん2名が到着。

そのうちの末の妹さんであるFばーちゃんの方が、いつも威勢の良いばーちゃんで(お転婆な自由人という表現があったくらい)、耳が遠いから常に大声。

その大声で「ばーちゃん! ばーちゃん!」とひたすら呼びかけてくれた直後、機械が動き、計測を始めた。

皆が息を飲んで機械を見つめ、機械が数値を表示した。すると……



なんと、50前後を行き来していた血圧が、一気に72(まだ安全領域)まで上昇!




あの時は湧いたね~……。


「これなら一晩もつかも!」とか思ったくらい。

あの出来事でいっぱいいっぱいだったうちの家族が救われたのは言うまでもない。

ちなみに、この出来事は後に合流できた姉と妹により、

「Fインパクト」

と名付けられ、今でも我々の胸に残っております(笑)





そんな祖母の病名は『肺がん』だったわけですが。

1年前そんな体験をした私が、今肺がん検診の比較ファイル作成をしてたりします。

比較ファイルとは、読影(レントゲンフィルムを医者がチェックし、異常の有無をみる)された結果を基に、「要比較」とされた人の過去のフィルムをセットして作るファイルのこと。

これを一度作ったあと、再度読影に出し、それでも「怪しいんでないかい?」という人は精密検査のお知らせが届くのです。

これはうちの会社の扱ってる検診の場合なので、方法などは検診の会社によって異なると思われますが。


そろそろ親戚が多くいる市町村のファイル作成が始まってきてるんですが、まだまだ親戚のファイルは作りたかねぇなぁ……と思いながら仕事しとります。

老若男女関係なくひっかかってるもんだから(といっても私のところにくるのは比較読影後「経過観察にしましょ」ってなる人が多いんだけども)、誰がいつひっかかるか皆目見当がつきません。

ちなみに先月がくがくしていた私は『異常ナシ』でした。まだ平気。ひゃっほい♪

油断はならないんだけどね。



ひとつ健康にはお気をつけて、皆々様。




そんでもって、表題どおり。

今年の私は、仕事でどったんばったんして「次から次へとおーわーらーねーーっ!」とてんてこ舞い中です(苦笑)。

もうね、1処理終わると次のがすぐ来て、溜まるの。ちょっと前の暇っぷりは何だったんだ、てくらい。足してわったらちょうどええぞ。きっと。


私にとっての師走は7月のようだ(笑)