義父。

基本、毎日午前は喫茶店でマージャンゲームをやり散財台風。帰りに昼食等を調達しにダンナの職場近くのスーパーに寄り、ダンナの行動をストーキング。たまにお金がないと会社に寄る。午後は自室でテレビ鑑賞テレビ。たまに孫の習い事の送り車
自室の温度調整がおかしい??夏に暖房18度とか、冬に暖房30度とか。乾燥しすぎて砂漠状態魚の骨。冬に冷房28度ってのもあったわ。
ヘビースモーカータバコ。でも、ルールを守らないため部屋では吸わせてもらえなくなり、ホタル族。
お酒大好き生ビール。アル中の疑いあり。
失禁しばしば。でも、着替えない。すごく臭いガーン。本人平気。
大◯の時は、本人コッソリのつもりで洗濯し、クローゼットの中に干す。でも、そこら中汚れててバレる。ダンナとバトルが勃発する炎


同居は子供夫婦(私夫婦)と孫3人。


これだけ書くと、すでに何かがおかしいねガーン


でも、当時はまさか認知症とは想像もできなかった。
ちょっと考えたらわかるのに、なんでわからんかなぁショボーン、って毎日ダンナと悩んでましたわ。
共働きだから、習い事の送りをしてくれるのがすごく助かってたから、認めたくないってのもあったのかも。


義父は、仕事をしながらも妻の介護(私とダンナが知り合う前に亡くなりました)とダンナ兄弟(まあまあ大きい食べ盛り)を育てるという、なかなか最先端の生活を経験しております。
家事は全てをこなしていました。

それが、私達と同居を始めたとたん、全てをやらなくて済むようになり、だんだん自分の事もやらなくなりました。
この時は気づきませんでしたが、いわゆるセルフネグレクト状況もやもや


ダンナと義父の喧嘩も増え、子供達がビクビク生活をするようになり、何かがおかしい、と思い心療内科の受診を勧めるもダンナは取り合わずショボーン

そんな時、義父が腰を痛めましたガーン
病院嫌いの義父が病院に連れて行って欲しいと。
そこで、ダンナは私が心療内科の受診を勧めていた事もあり、整形、内科、耳鼻科と何が専門かよくわからない病院を選びました病院

結果、これが功を奏し、医者から
「専門外だから、診断はできないけど、認知症の検査した方がいいよ」
と。
ダンナも慌てて心療内科に義父を連れて行くと、やはり疑いあり。


即刻車の鍵を隠しましたギザギザ

そして、介護認定の手続きを開始。


2、3日で腰が良くなり、喫茶店に行きたくなった義父。
車の鍵がないと騒ぎ出すムカムカ
車は運転させれん!とケンカ腰のダンナムカムカ

数日バトルが続きましたショボーン

子供達も、ごはんを早々に食べ、風呂は長めに入り、即座に二階に避難バイキンくん
不安な毎日を過ごさせてしまいました。

数日すると、車は諦めたのか、今度は長年乗ってもいない自転車で動き始めました。私たちには内緒で。
ある日、救急搬送されたとの連絡が入りました救急車

それ以来、自転車も乗れないようロックしました。

次は、歩いて行くようになりました。
でも、なかなか帰ってこれません。
パトカーで帰宅してきた事もありますパトカー

季節は夏。熱中症が心配で、尾行した事もありましたランニング

この頃、ようやく介護認定の手続きが終わり、デイサービスに、通う事ができるようになりました。

以前にも書きましたが、デイサービスを喫茶店と思っています。


うちはたまたまデイサービスの利用開始により事態が収拾しましたが、認知症になってから車の運転をやめさせるのは本当に大変。



出来るだけ早く、本人の判断がまともに出来るうちに運転はやめるよう説得する方が、本人のちの生活も充実しやすいかなぁ、と、二人のパターンを比べて思いました太陽