犬になる -7ページ目

犬になる

動物のこと、育児のこと、社会のこと、自分のこと、なにげないこと・・・


10月になると
大学2年の秋を思い出す。

あれから必ずと言っていいほど
この時期には憂鬱な気分と喘息に苛まれる。







犬の解剖実習があった。

わたしは犬が好きだ。

勉強のためだけに実験動物の命を奪うなんていやだった。

でも、代替実習を選択したのはそのターンではわたしひとりだけだった。






友達にも裏切られて
「動物好き」を名乗る同級生の大半が実験動物の存在や福祉に興味をもたないことを痛いくらいに知って
悔しくて悲しくて
人間が嫌いだ、と強く思った。

誰も彼もが敵に思えて仕方なかった。



授業が終わるのと同時に誰とも話さずに院棟に走って
外の階段で思い切り泣いた。


いちばん共感してくれる子だけ呼んで
一緒に泣いてもらって
思い切り毒を吐き出した。






今のわたしは少し丸くなったのか
ちょっとはキャパが広がったのかな。

あのとき許せなかった何人かと
自分からつながりをもてるようになった。


許す、という表現はおこがましいけど
わたしの考え方が正しいわけじゃないことも
確固たる信念を持って貫くことの難しさも知ったから。




あの教授はいまも変わらず解剖実習をしているのかな。

話をしに言ったときは頭ごなしに敵対視されて
代替実習に関してまったく話をきいてもらえなかった。






教育ってなんなんだろ。
学校や先生のいうことに諾々と従って
より良い評価を、単位を取得することではないはず。






だって実験動物とペットの壁はどこにあるの。




自分のペットが死ぬのはいやで
実験動物なら死んでもいいって思えてしまうの?



それは「動物が好き」なのではなく
「うちのペットが好き」なんじゃないか。


自分の手を汚さず、ホルマリン漬けで用意される実験動物の死体は
もはや命ではないんだろうか。


自らの手で犬を放血殺してまで学ぼうと思える学生は
何人もいるんだろうか。







本当にいろんなことを考えて
そして今もこたえは見つかってない。









なにが言いたいのか不明になってきたところで…

今日はここまでにしときます。

つづく。たぶん。