俺はおそらく痛みに強い方なんだろう。

「おそらく」というのは、骨折とかしたことないから。

「強い方なんだろう」というのは、ピアスとか刺青とか気軽に入れられるから。

献血とか予防接種とかウキウキだし。




で、


若かりしころ、身体改造が流行っていた。

イニシエーションでしょ、的な上から目線の精神分析にさらされつつ、自分ではファッションと捉え、

手や、おかしなところに金属を埋め込んだり、

耳の軟骨や、おかしなところに穴を開けたり、

皮膚の下や、おかしなところにインクを仕込んだりしていた。


首の後ろに入出力のジャックとかものっすごい付けたかったし。




ピアスもそうだけど、特に刺青が痛みの認識を変えた。

例えば腕でも、前腕、上腕前側、上腕後ろ側、、わきの下に近いところ、ひじの骨の上の部分、すべて痛みの質が違う。

わきの下近くが刺すように痛くて、骨の上は振動が骨をガリガリ伝わってくる。

痛みを注意深く観察していくと、痛いのは俺なんだけど、その痛みを客観視するようになる。

自分の感覚から、その痛みの感覚だけを分離させ、「痛みの質」を分析する。

そうすると自分の反応から「痛み」だけが離れ、「痛みというモノ」が空中に浮いていてそれを観察しているという感覚になる。




人間としてのヒトか、人としてのヒトかかはわからないが、ヒトの成長過程として、

一元的な自己 → 分裂した自己 → 統合した自己

という過程をとるという考え方がある。

これがどういうことかわかってないが、「痛み」を捉えるやり方をみてると、当時おれは「分裂した自己」を経験していたんじゃないかと思う。




残念なことに、今の自分が「統合した自己」を手に入れられているかというとそうは思えない。

ので、この考え方に沿うといまだに「分裂した自己」であるということになる。




こういうのって、その精神レベルから一歩先に抜け出てやっとそのときの自分の状況を認識する。

精神分析とか心理学とかと一緒で、苦しんでる本人にとってはクソの役にも立たないもの。




ピアス入れたり、腕をザクザクにしたり、各種ケムリ吸ってみたり、自殺してみたり、

現代は個人のアイデンティティーの形成に複雑な手続きが必要な時代、となんかの本に書いてあった。

ほんとにそう思う。

そもそもアイデンティティーってものがあるかどうかがまずわからんしね。





苦しんでるヒトは多いと思うが、なんとか乗り切って。


自分のことは自分が決めてるんだから自分で決めな。


ちゃんと乗り切ったら楽しくなるよ。


  ちがうな・・・


ちゃんと乗り切りつつあるときは楽しいよ。


かな?