現場であえてストレートに向き合う理由

私は5、6年色々なところで

介護をしてきました。


介護士になったのは

家族が障がい者になったのがきっかけです。

脳梗塞から麻痺でした。


そこから

介護と子育ての格闘の日々を経て介護資格を取得

取得後も

利用者と介護士共に

心無い言葉が飛び交う現場が合わず転職を繰り返しています。


日々の中で

利用者の方から心ない言葉を投げかけられることがあります。


先日も、掃き掃除をしている利用者様が、私をホウキではくふりをしながら笑顔で職員に「粗大ゴミあった」と

冗談だから何を言ってもいいと思ってるみたいです。


その方は普段から自分のことも「姥捨山だ」と卑下しがちです。自分自身を雑に扱うからこそ、他人のことも平気で雑に扱ってしまう――そんな悪循環があるのを見てきました。


さらに厄介なのは、ご本人は他の利用者に対して「自分は理性ある人間だ」と高圧的に説教しているという矛盾です。


「冗談なら何を言ってもいい」という思考でいると、周囲との信頼関係はすり減り、最終的には誰も本気で向き合ってくれなくなる孤立しか待っていません。

このまま認知症がさらに進めば、いつか介護士からも見放され、最悪な未来を迎えてしまうのではないか。

そう思うと、ただ見過ごすことはできませんでした。


過去に、こうした理不尽な言動を受け流した結果、セクハラや過剰な要求がエスカレートしてしまった苦い経験もあります。


だからこそ、私はその場でスルーせず、ストレートに言葉を返すようにしています。

「冗談ででも、人をゴミ扱いするのはよくありません」

「『理性ある人』だと言うなら、まずご自身が見本を見せなきゃいけませんね」

「できなくなっても助けてくれる人がいると思ったらどうですか? 私たちがいますよ」

過去に家族が障害を負った際、周囲から「かわいそう」などと言われた理不尽さの記憶や、現場でのリアルな防衛本能もあります。優しく受け流すことが正解とは限らない現場

だからこそ、時にはガツンと境界線を引くことが自分の身と相手の尊厳を守るために必要だと感じています。

この現場を去るまで、残された時間はあと1ヶ月。

綺麗事だけでは回らない介護の泥臭さの中でも、

「人として最期を迎えてほしい」という願いを込めて、私は今日も真正面から向き合い続けます。