2020年1月のPET-CTで肝転移、骨転移、リンパ節共にCR、原発巣FCG集積低下という結果から、3週間毎のハーセプチン+パージェタの投与を継続していて、治療開始からマーカーの推移は以下の通り↓

 

この時期、子供は大学受験でいろいろと大変でしたが、治療は順調で、I1先生は喜んではくれないものの、診察はほのぼのとしていたので助かりました。

 

私がステージ4と分かったのは子供が高3の春。

主人は単身赴任中でこのまま二人ではどうにもならなくなるかも、最悪、受験さえもさせてあげられなくなるかもと思い、家族ですごそうと受け入れ先の高校が決まらないまま転居先を決め、最悪、新幹線通学してもらうつもりで高3の夏休みに転居を決行しました。

その当時、私はゴミ出しさえ大変で、とても動ける状態ではなかったので、子供が受験勉強しながら引っ越しの準備をしてくれました。引っ越し前に新幹線に乗って受け入れ先候補の高校の編入試験を受けに行き、面接で失敗したみたいでひたすら泣いてましたが、合格!ホッとしました。

 

しかし、大学受験は甘くない……

結局、子供は第一志望には不合格、私立の大学には合格しましたが、私の病気の事も考えて、一度も行ったことのない後期で受けて合格した大学に進学することになりました。
この結果を子供は「ママのせいじゃない」と言ってくれましたが、私は、とてもとても辛かった😭

ずっと第一志望の合格を目指して勉強してきた子供を見てきたから。

一番大事な高3の時期を私の病気のための付き添いや引っ越しで時間をとられ、それに伴う転校など様々な環境の変化にも対応しなければならなかったことを考えると、今でも涙があふれてきます。

 

そんなこんながあって、3月の受診日には通院中に気分が悪くなり、途中駅で下車してトイレに駆け込み嘔吐する始末。かなりストレスがたまってました。

腫瘍マーカーもCA15-3は10.1と基準値内でしたがCEAが6.5に増加。
I1先生は、この嘔吐に驚かれた様子でしたが、まだいけるな、と当日もハーセプチンとパージェタの投与を受けました。

この時、I1先生は定年のため退職すること、次回から違う先生になることを聞かされました。これがその後、今まで続く災難の始まりだとはこの時は知るよしもありません。

 

でも、禍福はあざなえる縄のごとし。そして、よい花は後から。

 

子供は、仮面浪人し、今第一志望に通っています。

私も明るい未来を焦らず笑顔で待とうと思います。