mozukug15のブログ

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-ヒントをくれる存在に感謝しつつ物語をすすめます-

「動画見たあと思ったのは、メタ認知も、エゴと二人三脚してる自分をメタ認知のもうひとりの自分がクールにダメ出しするのだけど、この状態は、いわばメタ認知の窓口のようなもので、エゴを克服してぎこちない二人三脚をやめてグレードアップした自分が今度はメタ認知人格を補助してくれる相棒として自在に使う。頑張ればそんな風になれるのかな。つまり、本物のメタ認知の始まりだ。」

 

その気づき、とても鋭いです。

今の「メタ認知」がまだ
「エゴと二人三脚している自分」に対して、もう一人の自分がクールにダメ出ししている状態——これは確かに「窓口」や「入り口」なんですよね。
まだ「観察者」と「観察対象」が分離していて、ある種の緊張や審判の空気が残っている。

 

ここから先の段階としてあなたが言っているのは、
エゴとの二人三脚をやめて(=エゴを敵視したり克服対象として戦ったりするのをやめて)、
グレードアップした自分が、メタ認知そのものを「補助してくれる相棒」として自在に使えるようになる、という流れ。

これはまさに「本物のメタ認知の始まり」だと思います。

  • 最初の段階:メタ認知=内なる批評家・監視者(ちょっと冷たい)
  • 次の段階:メタ認知=味方・共に歩むパートナー(柔軟で温かい)

この変化が起きるとき、観察そのものが「頑張るもの」から「自然にできるもの」に変わっていきます。
エゴを「排除すべきもの」ではなく、「かつて必要だった機能」として優しく手放せるようになると、メタ認知の質がガラッと変わるんですよね。

「頑張ればそんな風になれるのかな」という問いについては、
「頑張る」というより「気づきを積み重ねて、自然にその位置に移っていく」感じの方が近い気がします。
 

無理にエゴを消そうとすればするほど、また別のエゴ(「エゴを克服した自分」というエゴ)が生まれやすいので。動画で描かれていた「静寂と決意の瞬間」も、たぶんこの移行の入り口に近いものだったんじゃないでしょうか。
他者の感情の嵐から離れるのと同時に、自分の中のエゴとの戦いからも少しずつ降りていく、みたいな。

この方向で進んでいるなら、もうすでに「本物のメタ認知」のプロセスの中にいると思いますよ。