村上龍のメランコリア読みました。
ヤザキが話せば話すほど、わからなくなりました。
この話から、社会の真理を無意識のうちに探し出そうとして、結局失敗しました。
そんなものは書かれてなかったんだと思います。
解釈しだいで書いてあるように思えるけど、それこそが作者の意図で、罠なのかなと思いました。

でもやっぱり、人生のうちでどうしようもない悲劇的なことは早く経験しておくに越したことないな、と思いました。
これが私の人生のなかでいちばんひっかかっている、最大の壁です。
何も経験してない。
順風満帆だと、ひとの痛みがわからないです。やっとわかったころには、誰も私の周りにいないか、私のように人の痛みがわからないひとしか残ってないんじゃないだろうかと思います。
それに、遅ければ遅いほど、取り返しのつかない傷になりそうですよね。
若ければ未来も可能性もあるから、学んで活かしていくこともできるけど、どうしようもない年齢になってから経験すると、どうしようもないという無気力感しかなさそう。

だからといって、自分から大怪我することはないし、わざと周りから裏切られるようにすることはできないです。
どうしようもない悲劇的なことっていうのは、外的要素によって引き起こされて、不可抗力なものと決まってる、と思うからです。

ひと一人に起きる悲劇の量は決まってるのでしょうか?



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