私は今、医療業界にいるのですが…もとはといえば学生時代にヘルパー二級という資格を取り、介護の仕事を始まりです。〝グループホーム〟では色々な入居者さんと関わることになりました。お金持ちの息子を持つが、認知症でもの盗られ妄想がひどく出ていたおばあさん。よく、私は「あの人に盗られたんだ」と打ち明けられたものです。パーキンソン病という身体を上手く動かせない病気の方なんかは、私が腰痛がヒドいというと「私の手には不思議な力がある」と、ハンドヒーリング?みたいに腰に手を当ててくれた。正直、それが効果があったかどうか?なんてよくわからなかったあせるただ、自分という人間が嫌いでそれでも必要としてくれるこの人たちに何か出来ることはないのか?と医療の道に進んだことはいつかブログでも書いたことがあった。

 それを私はホスピタリティつまり奉仕の精神のように思っていたけれど…

 
 話は変わりますが、〝仕事〟ってなんだろうって考えたことがありますか?会社に行くことですか?コックなら料理をする事ですか?働きに応じて報酬を得ること?

 私は違うように解釈していますひらめき電球

子どもの頃、こんなことを言われたことがありませんか?「子どもの仕事は勉強をすることだ」と。もっと小さな子どもであれば、両親が共働きであれば保育所に行くことも立派な仕事です。うちの子どもたちも「今日、おやすみ?」としょっちゅう聞いてきます笑い泣き家でゆっくりしたいんだろうな?嫌なんだろうな?と思う瞬間です。つまり働くこととは、人が生産的ななにかを行う営みそのものなのではないでしょうか?

 アドラー心理学の『嫌われる勇気』の中で、他者貢献こそが幸せであるとあります。

ん?

と思いますよね。
例えば、相手がお金は持っているが空腹でご飯を食べさせてほしいとき時にご飯を作って差し出してあげるのは他者への貢献ですよね?その報酬としてお金を払う。料理を出した方は店を構えて、この必要としてくれた客にご飯を与えたことで自分の存在意義を確認するのです。それが広がって、いろんな人が店に訪れてくれたら店主は心が満たされます。二次的にお金も沢山稼ぎ豊かになります。

反対にです。

誰かからの報酬や承認が目的の人はどうでしょう?それ自体を目的したとき、じゃあ具体的に人数や金額を目的としたはどうでしょう?それが満たされないときは、不満が募り、満たされれば満たされたでその数値目標は上がり続けるのではないでしょうか?

 そう、昨日のエネルゲイア的な生き方とキーネーシス型の生き方の話です。

 不登校から、引きこもりに近い状態の娘に〝目的〟を持ちなさいということ自体が土台無理なことに気づいたのですアセアセ

 私が考えていた、目的とはどうなっていきたいか?とか自立していくためにはどのような努力が必要か?というための目的なのですが…

正直、娘にとっては必要のないことなのです。

黙っていてもご飯は出てくるし、嫌いな野菜は食わなくても美容のためにサプリメントを買ってもらえる。携帯も使い放題。車も保険料やガソリン代もかけることなく乗れる。バイトに行くの小遣い稼ぎで、しんどかったら休むためにバイトなんです。誰かに何かを貢献することもなく、しんどい体調悪いとバイトを休めば構ってもらえる。バイトの現場の人に迷惑がかかっているという意識はないのでしょう。だから、当たり前の顔をして休むし、休んだ次の日もケロっとした顔で出て行く。嫌なことはしない…つまりなにが言いたいかというと、社会的な役割は無きに等しいのです。だって、他者に貢献するよりも私や嫁、バイト仲間に迷惑をかけて生きているウェイトが遥かに大きいからですえー?自分に価値がないことを心のどこかで気付いているのです。

 その代わりと言ってはなんですが、一生懸命やってアイドルの追っかけは結局のところ投影なのではないでしょうか?

 自分たち(ファン)が応援して育てた(金をつぎ込んだ)アイドルが成長していくのは、私たちのおかげなのだ。
だから、私たちはこのアイドルと同じく価値がある存在であり尊いのだと。もちろん口に出しては言いません。

が、その活動だけしか生きる理由が無いのは悲しい話です。

100%ないだろうけれど、そのアイドルが応援してくれるあなた1人だけを大切にするって言ってくれたとして自分は「ニートで追っかけが仕事です。」と正直に言えるのであればいいですが、ふつう恥ずかしくて本気で頑張って芸能界で生きている人に言えないだろうしょんぼりまさに『アラジン』のような話です。

 どれだけ、影絵のように自分を照らして大きく見せようとしても実際の自分の大きさは変わっていません。

健全な精神であれば、本来自分が成長するための努力を積み重ねていくべきです。

それが、さきに冒頭の話のように誰かのために貢献することです。

たしかにアイドルでも「ファンのみんな、いつも応援ありがとう」くらいのことは言うかもしれませんがライブの観客1万人とか100万人とかを目の前にしてやテレビの画面を通じてお礼を言われて「あっ、これ私のことだ!」って思えるのなら幸せな話ですぼけー

 真に手の届かない人と自分でも気づいているから、恥ずかしい自分のままでいるのです。

幸せになるためには、このサイクルが重要だといいます。他者貢献→充実感を得て→また努力をする。そして、努力をしたことでまた他者貢献をするのです。

娘のように目的が逃避な人ってたくさんいます。

目の前の問題を解決せず、なにかに依存したり、自分に嘘をついたり、忙しいとか時間がないと言い訳したりして…。そして、本人もなんとなくそれに気づいているんです。

誰かのために、何かをする。それだけで幸せになれるというのだから、アドラーの考え方は人生をシンプルにするとはよく言ったものですにやり

 引きこもっている人や、自分の考えに固執し過ぎている人によく言いますよね。「世界が狭い」とか、「自分中心の自己中だ」と。無力とは力である。その最たるが赤ん坊で、他者を支配するが支配されないという。

私にとっての変化の一歩は、たまたまですがわかりやすい形で介護の仕事だったんだなぁと振り返ります。娘は嫌々といやなことを全て避けて通り一生生き続けられると思っているのだろうか?