お習字を習いはじめたことを以前ブログに書きました。嫁の通っている美容室のご主人が日本書道を教えに我が家にまで訪問して下さっています。しかし、現在はコロナが流行っていることもあり訪問での練習は控えており課題をもらっての自主練となっております
しかしながら、人というのは水が流れるが如くラクな方へラクな方へ流れてしまいます
つまり単純に〝サボって〟ただけの事ですが…
せっかく少しはマシになってた文字が簡単に乱れるのです
当たり前のことですが、字がまったく書けなくなるのではなく字に〝癖〟が出ます。癖って、結局は〝我〟なんです。
私が教わっている習字の先生は、それこそ習字を教える側の人にも教えるらしいのですが…
そういった方の方が覚えが悪いというのです。
不思議ですよね?
専門的な知識や経験がある方がコツやテクニックを学びとれそうなものなのに。
『木のいのち 木のこころ』の中に同じような事が書いてあります。
宮大工という職業では徒弟制度という仕事の教え方をするといいます。徒弟制度で学ぼうとするのには、早ければ早いほど良いと。この我や癖が抜くことの方がずっと難しくなるからです。
昨日の話しに戻ります。
同じ組織にずっといれば、それは必然的にその組織のカラーに染まっています。そもそも、不快感を感じる人間はさっさと辞めるでしょう。特に介護や医療の業界なんて売り手市場です。いくらでも求人募集はありますから
『一兆ドルコーチ』の中には、GAFAなどに並ぶテック業界ですらコーチングの必要性を理解している経営陣は少ないと言います。
決められた指向性というのは、いずれ何かの問題が起きれば根絶やしになってしまいます。例えば、間違った選択をしているのに組織の面々が同じ考え方をしているのでイエスマンになっていれば右に習えで一緒に沈んでいくでしょう。
新人職員を雇う理由というのは、新たな風を入れることなのです。同じ属性の人間の中、新しい人間がそれまでの古参の人間に新たな情報や知識を気付かせることもあります。ただ、学ぶことを体系的に参考書などがまとめているのは効率的に正確に覚えるためです。
そして、本や書籍などはあくまで一方的な情報媒体です。質問をしたくてもできません。仕事だって同じです。
何からでも、学ぼうと思えば学べます。それは、立場が違っても同じです。そして、学び、昨日の自分より成長したことに喜びを感じられる生物は人間だけの特権だと言います。
謙虚に、素直に、学ぶには我をいかに捨てるか?もちろん、体当たりで学んでもいいのでしょうが文字通り命がけになりますが(笑)
それぞれにあった学習方法を気づかせてくれる存在がいることは重要だと思います。
それだけでも、お習字習い始めたかいがあったなぁ