今日も、仕事であることをきっかけに
「腰痛看護師さんが社員のお世話までしているじゃないですか…」と同じくパートのおばさまから言われるのでした
もちろんできる者がやったらいいのですが、管理職者がやらないことを私がやるのはおかしいって常々思うだけです。管理職者が、教えてやってくれって指示を出すのであれば嫌な顔一つせずしますが管理者が避けていることを勝手に解決してやる義理まではないってこと。結局、同じ問題にぶつかるだけだからです。私が、偉そうに言ったからとて誰も聞きやしません。だって、私はパートだから。しかも、長くても3年。早ければ1年。極端な話し明日からでも休職してもいいくらいです。私が組織に属し、集団をコントロールし続けるのであればフレームワークを作るのもいいでしょうが…
その結果を見届ける気もなければ評価をしないのであれば関わるべきではないのです
ビル・キャンベルの『一兆ドルコーチ』IT業界における素晴らしいコーチの話しを読みながら深く共感できた部分と、今回のテーマをまとめようと思いました。ちょうどここ数日の仕事にも合致するので意識に上ったのだと思います。
ビルが会社や組織を円滑に運営するために、そこにいるスタッフは『チーム・ファースト』でなければならないというのです。そして、問題が政治臭くなる…すなわち個々の利害が優先されることをビルは毛嫌いしたと言います。アメフトのコーチという経歴で、経営という異色畑で多くの尊敬や称賛を受けたのはよくわかります。
このチーム・ファーストということがどれだけ難しいかと言うことです。
例えば、男の人が会社に出ていて自分の家族を養うために働く。でも育児もしたいから、結構な頻度で休むとすれば確かに〝家族〟という単位でのチームは優先できていますが、〝会社〟というより大きな単位を優先できていません。
そして、会社が潰れたら?果たして家族を守れますかね?
つまりリーダーになる為により大きなその視野を持てるかということです。
経営者によくリーダーシップが求められます。経営の究極的な目的って、決まっているということを書いたことがありますが…それは企業価値を最大にすることです。言わば〝企業〟というチームを最優先して強く・大きく、豊かに成長させるってことです。
チームが大きくても小さくてもそれは同じです。
チームメイトが少ないか多いかの違い。もちろん少なければまとまりやすいでしょうが、大きくなればまとめるのは非常に難しいでしょう。
今現在の私には、他所のチームを育てている場合ではありません。なぜなら私自身がチームを持ちたいからです

ここで、家族という単位のチームに関しては私はまとめられていると考えています。だから、外にメンバーを求めるのです。最初は、1人でもいいからチームを作りたいのです。
リーダーが孤独だというのは、チームメイトが少なからず各々違うベクトルの力を持っているからです。それが出世欲のようなもので政治的に働いたり、仕事が嫌いな方からしたら働かないでどれだけ給料もらえるかのような怠惰な欲求だったり…。仕事でもよく聞く話しです。中間管理職者が、上から叩かれて、下から突き上げられてと。それめも少なくとも、自分だけは〝チームファースト〟でなければなりません。利己主義でもないので、チームへの忠誠心のない人間にはそのリーダーだけが異質な存在に映ることでしょう。
まず、チームと言っても私の場合自分単独のチームなら頭は一つで意思決定も一つなのでなんとかなるでしょう。それが2人、5人10人…そして100やら1000になったらどうでしょう?リーダーの器量を越えればコントロール出来ず、雲散霧消となるでしょう。それがいきなり1000から始まることはありません。その器量を一つずつ大きくしていくしかありません。
リーダーになるに当たり、まず自分が職業人としての力が最低限1無ければなりません。人よりスペシャルな人間でも能力が2になることはない中、それほど難しいことでもありません。例えば大きな木材を運ぶにしても1人では運べなくても2人なら運べるように。1人でできることには限界があります。だから、まずは1を満たせること。一人前ってとこでしょうか。
そうなれたからこそ、次は誰かと共同でなにかをしたいと思えるのです。
自分が半人前だったり、0.7くらいであれば誰も自分の言うことに耳を傾けてくれません。運命共同体で、半人前にいのちを預けたいひとはいませんから。スペシャルな人で人の力を借りたくないっているかもしれませんが…生きる上で必ず自分は誰かの助けを受けているに違いないです。自給自足、生産、運搬、加工を誰の助けも受けずにやっている人はいませんからね
ただ、それは視野が狭いだけ。
もちろんリーダーになるのではなく、良いメンバーであるのも一つの生き方です