昨日、Amazonさんに注文していた本が届きました
タイトルは
「事業計画書は1枚にまとめなさい」
です。
事業計画書の書き方の情報なんて、ネットで調べるといくらでも情報出てくるのですが…
なんか一本筋の通った情報が欲しいと本を検索したところこれが出てきました
もちろん、これを買おうとと思った理由らいくつかあると思いますよ

事業計画書、さまざまなところで言われているのは何枚も必要です…と。
でも、この著者が日本政策金融公庫側の人間で5000もの事業計画書をみてきて融資を判断してきた実績のある方だといいます。
その人が
「事業計画書は一枚でええよ〜」って言っていて
胡散臭いって、思います?私は、効率よくやりたい人間なのでラクそうなのでこの情報に惹かれました
ここで
たぶん自分が何枚も事業計画書を書いた人ならば「うっそだー。信じられない」って
そもそもこの本を買わないと思います。
これが自分の経験における情報のフィルタリングです。
それが積み重なって、積み重なって、積み重なったものがその人自身になりますよね。
つまり、無意識かもしれませんが情報を取捨選択し恣意的に自分の都合のいいように自分を作り上げているって考えたことがあります?
そのように考えると
究極は
自分の信じたい情報を、自分で選択していて…
その裏付けのために利用している。
とは言えないでしょうか?
だから、本とか読む意味とかないかな?とか自分の発信なんて無意味かなって思ったのです。
例えば、
この事業計画書1枚って主張している人がいても、この著者が担当した人以外は複数枚書いているかもしれないじゃないか!っていう逆説は成り立ちますよね?
どっちが多いからどっちが正しいって問題でもないと思うのです
ただ、自分という経験論でフィルタリングし、自分の考え方こそが正しいと他の考え方を排斥することは間違っているのだと思います

どちらの意見も存在するのです。
選択は自由です。そもそも情報の選択の時点でフィルタリング機能がかかってますから。
それを受け入れられない理由は、自分の人生経験は間違いなく普遍的で正しいという〝我〟なんだと言えます。
歳を取るほどこの〝我〟を無くさなければならないと言いますが…
歳を重ねる、経験を重ねる、成功体験を重ねるほど〝我〟は強くなります。
だから、考えるほどに無意味なのかもしれません
私は、楽しそうなほうを選びます。これが判断基準。
参考までに今読んでる本たち
・逸翁自叙伝 小林一三
・自閉症の僕が飛び跳ねる理由 東田直樹
・簿記がわかってしまう魔法の書 小沢浩
・コクヨ式机まわりの「整え方」 齋藤敦子
・法則 マクロに発想する 船井幸雄
など。など。
