まだ四十九日は経っていませんが、ご家族さまもある程度落ち着かれた様子なので書かせてもらいます。

 この時は私も、気が動転していて明確には表現できていませんでしたので追記になります。

 私と嫁が、看護師であることは別に隠すこともなく話していて近所の人にも知られています。

 この日、何があったか?というと

朝、いつもと違う異様な状況でパっと目が覚ませました。

 何か怒鳴り声のようなものが耳に入ってきたのです。

普段であれば思春期のコが、熱唱していたりと騒がしい近所界隈なのです…

微睡む頭の中で(なんだ、キ〇ガイか?)と何故か思ったのを明確に覚えてますねー近くにそういった病院もありますし。

でも、何故かその日はパッと目が覚めたのです。朝の歯私にはこんな日は中々ありません。声のする方を確かめると、いつも歌っている思春期のコのお宅の方面じゃないのです。

ん…?おかしいな?

と、思いながら声の方に向かうと玄関の扉が開いてました。

 すると、そこへ悲壮な顔をしたご近所さんが…


ここからは戦慄の内容ですので、覚悟のない方は見ないで下さい。















 ご近所さんに「二階、二階上がって!!

とただらぬ状況を察して、とにかく階段を駆け上がりました。

 すると、そこには嫁がいて…

「(心臓マッサージ)代わって!」と言われ、状況をある程度理解しました。

 真っ青な血の気のない赤ん坊、冷たい肌。どれだけ時間が経過しているかわからない状況。怒鳴り声のような声の主はそこのご主人でした。

「戻ってこい。お前ならいける。頑張れ」


と叫び続けています。

このコロナ禍で、私はこの赤ん坊に一度も触れたこともありませんでした。顔もしっかりと見たこともありません。

それが、なんでこんな時だよ。

 頭は不思議とクリアでした。

それでもなぜ、こんな行動をしたかは自分でもわかりませんでしたが…

 握った真っ白な手に、触れました。

(冷たい。)

足先に触れました。

(まだ温かい?)


還ってこい。還ってこい。

祈るような気持ちで心臓マッサージをしました。

どれだけの時間が経過しているのかわかりませんが…

交代した嫁が、救急の方に電話したあと救急車の到着を待つ奥さんと交代してきてと言われたので私はすぐに察しました。

 (もしかしたら、最後になるかもしれない)と。

 この赤ん坊には兄弟がいます。

子どもは時に残酷です。

「〇〇しんだ」と悲しいのかよくわからないような表情ですれ違いざまの私に言いました。

 お母さんと救急車の到着を交代する際には

「もう無理だよね?」

泣きそうなクシャクシャにした顔で言われて

「まだわかりません」というのが私の精一杯の答えでした。(足が温かかったのもあるし…)そうであって欲しいという願いもありました。

 あの温もりはたぶん最後の命の温かさだったのかもしれません。


 救急車が到着し、家に帰ると嫁も同じように足の温かさには気付いたそうです。

「心臓マッサージの影響かな?」なんて話をしましたが、確かなことはわかりません。

 ただ、私の中で思ったのが

(絶対にあの子の命に穢れなんて一切無かったはず。それなのに無慈悲にも命を落とすなんて…。絶対に後悔するような生き方をしたらいけない。明日命があるのが〝当たり前〟なんて思ってはいけない)と思うのでした。そして、それと同じく(死ぬことに比べれば、私が恐れていることなんてずっとずっと大したことはないんだ)そう思うようになりました。

 すぐに私はその日のうちに仕事を辞める決心し、上司にその旨を伝えました。

 
 後に、スピリチュアル系の話を聞いていると「なぜ、罪もない小さな子どもが死ぬような事象が起こるのでしょう?」って話がありました。

 霊的な視点での〝死〟の概念がわかっていないと理解し辛いかもしれませんが…

人間が生まれてくる理由は魂の成長を目的に生まれてくるという前提があるというのです。

その為に、色々な経験を積む為に何度も生まれ変わっていると。

その中で、とりわけそんな経験をする子どもも、その親も

無茶苦茶、魂のレベルが高くて…それこそあと10回も生まれ変われば天使というか生まれ変わる必要もないレベルの存在になるらしいのです。

 生まれ変わるとか、信じる信じないは別として私は確実に影響を受けて人生変わった。ってレベルの出来事でした。

 どれだけの人がその人生で人を変えられるか?というとなかなか難しい話です。

 私がその場に居合わせたことも、全部因果なんです。

私が看護師であったこと、嫁と結婚したこと、今の家に住んでること、近所に赤ちゃんが生まれたこと。何一つ条件が欠けてもそれは起こり得なかったことなんです。

 そう思うと全ては、起こるべくして起きたことなんです。

 自分が全てを切り開いているというような考え方は傲慢な考えだと行き着くのは簡単です。そして、何かに導かれているのです。

 あの赤ん坊の温もりは、きっと忘れることはないと思うのです。