職場のグループホームに、占いができるおばちゃんが帰ってきて約半月が経ちます。

 おばちゃんも、勉強熱心でスピリチュアルなお話をしてくれますにやり
「寝る前に聞いてるの〜」と
先日、紹介してくださった方は凄まじい数のフォロワーがいるスピリチュアルの先生でした。

どんどん、どんどん不思議な方向へ導かれていきます…

 以前も書いたかと思いますが、精神科医の樺沢紫苑先生が「精神医療とスピリチュアルは登る山な同じで、アプローチが違うだけ」だと仰っていました。また脳外科医だったかな?養老孟司氏の本の中にあった、「日本における〝心〟という言葉には〝感情〟の側面と〝魂〟や〝道〟の意味がある」と。

 スピリチュアルでも、表面的にしかわかっていない方と違って…その人の理解度でや説明の仕方で、感じ方が180°違うのですねあせる

 どんな話を聞いて、そんなことを言っているのか?っていうと

 私自身、人の向上心というかヤル気とか情熱。モチベーションの源泉って…どこからくるのか?なんて思ってたのです。

 それが、スピリチュアル的に言えば魂の向上のためだとか。

 〝魂〟というとお化けを想像しそうですが、〝大和魂〟〝侍魂〟なんかの〝スピリッツ〟をイメージして欲しいです。

 つまり、先にも養老先生の言葉でいう〝心〟なんです。

 んで、この世に生をもたらされたのは魂を磨くためなんだって。

 私がよく、人を科学するだとか思ってたのは結局はこの道理を知るためだったのかな?って気付いてしまったのです。

 科学的ではないっていう人がいるかもしれませんが…

これも反対なんです。

 養老先生が言っていたのは〝事象〟があってそれを体系的にまとめたものが〝学問〟なんです。

 つまり、綺麗にまとめ切れない事象はまだまだ学問ではフォローし切れないで存在するのです。

古代から現代まで、様々な人々が暮らしの中で学んだ事が故事や諺…なんかに表されてるのもそうです。

例えば、こんな話。
専門的な知識もないような植木職人が弟子に、高い所の枝を切っているときには声をかけなかったが梯子を降りて低い所まで来た時に「気を抜くなよ」と声をかけたそうです。孔子だかが近所の人に「あれは高名な方か?」と問うたらただの職人だよ〜ってそんな具合にね。



 不思議ですが、私が仕事を辞める日が近づいてきてどんどん心が軽くなってきています。

 将来に不安がないのか?って言われても上手く言えませんが、私が起業するのも折り込み済みの人生だったのでは?なんて考えてしまいます。

だって、たぶん勤め人では考えもしないことを考え、苛立ち悩んでましたから。

 不思議と、それを周りに理解されない事も気にならなくなりました。

だって、私が人生の修行をする中で周りの人達も別の修行をしていることに気がつきました。

 イメージとしては、同じグラウンドを走っていて白線が引かれていて他のレーンには入っては行けないし妨害は出来てもゴールに着くまで走らないといけないルールなんです。

だったら、人のことを邪魔するより自分が一生懸命走った方がいいでしょ(笑)隣のレーンの奴を邪魔してもその人も、ゴールまでは嫌でも走らないと行けないルールで…下手したら邪魔し返してくるかもしれない。

もっというと、その近くのレーンの人って身内なんだよ。きっと。

 自分と向き合うことで、どんどん、どんどん無駄な重しのようなものが取っ払われてシンプルになって身軽になっていきます。

 そして、加速していくのですが…

なーんもない所の方こそ緊張を持たなければ。先ほどの植木職人の話でも、気を抜いたときに怪我をするといいます。

 逆に、今まで何年も時間をかけて準備してきたんだ。少し早くなったからって大した変わりはない。むしろ、気を抜くことなく頭からクールになっていく感覚は私が医療現場で培ってきた人間強度のようなものに他ならない。

そういや、金持ち父さんもそんな人間がビジネスやったら良いって書いてたなぁねー