親知らずの歯を抜いて2日。寝ているようで、寝れてないのか子どもを寝かしつけている間にブログを書かず自分まで寝てしまいました
それでも眠いのね
夜中に目が何度も覚めるし。朝起きたら顔パンパン。やっぱり抜いたとこ痛いので、昼間起きてるときと同じように痛み止め切れたら体は休んでないのかも
さて、一昨日のブログに書きました。できないことを口にするのは文句だと捉える嫁との考え方のギャップ。埋まらないのは理解していますし、埋めようとも思いません。
ただ、嫁に言われたのは「そういうところがあるから、変えた方がいいよ」というニュアンスの言葉です。
昔の私ならまだしも現在の私は絶対、誰に対してもそういうことを言いません。
言っても、それこそ変えられないことだからです。反対に私が同じことを指摘したところで、嫁は自分は認識しているから良いという。つまり納得の上で、変わらないことを選択し続けているのです
(尚更、質が悪いと思うのは私だけ?
)
(尚更、質が悪いと思うのは私だけ? 『GRIT(やり抜く力)』で出てきた犬の実験を思い出します。出られないケージの中で微弱な不快な電流を流す実験です。このヒドい実験で唯一の救いはボタンを押すといくらか電流が流れるのを止められる点です。そのボタンを押すのを学ばせた犬に、さらにヒドい実験でボタンを押しても電流を流し続けるとどうなるか?というのです
①ボタンを押さなくなりプルプル震えながら耐える犬
②電流が止まらなかろうがボタンを押し続ける犬
生物の基本的な対処行動を示しています。
私の家族では、成人し、ある程度育った人間ということで…嫁からは娘、私の母親を引き合いに出されましたが多いから自分にどうにもできないことを口に出すのはおかしいらしいけど…
何もしなければ結果、何も変わらないよね?って思うのです。
私は言い返しもしないのは、私は嫁の考え方に可哀想だなぁ。と憐んでいるからです。もっというと発想が貧しい。でも、そういう考え方があることを許容するし、自分の考え方が良いからって強要したところで出来ないのもわかっているのです。
ここまで長くなりましたが
とどのつまり、
目には見えないけれど『心の強さ』が足りないからなんです。足りないことを言ったところで増えません。だから別の考え方に排斥しようとするし、認めないのです。その上、自分は変わらないので人を非難し変えようとします。私?それでも動じませんけど(笑)
というのも、ちっちゃな事かもしれませんがこのブログを書くというアウトプットし客観視することで自分が浮き彫りになってきます。自分が強くなれば尺度も大きくなります。私自身は変わり続けています。それもより大きく、強く。
まだまだかもしれませんが、娘がニートに近くとも知った事ではないというメンタルにまでなれました。その昔には発達や身体障害、知的障害などがいる家では〝宝の子〟と言われたそうです。(精神科で勤めているときおばあちゃん連中に教えられた)
「コイツを食わして行かなきゃいけねぇ」と
親が奮起するそうです。
ただの子どもではないのですから。大人になっても自立出来るかわからない、ある意味狭義での大人になれない子どもがいるってことです。親の苦労も一塩です。親が強くならざるを得ないのです。
まぁ、ですが私はそこまでには至っておりません
本人にとってはハンディはハンディです。でも、親が引っ張りあげられなくなっても、世間や社会が助けてくれます。それを本人が望む望まぬに限らずとも。その時に「働く意味が見出せない」とか変わらず言ってればいいんです。それが19、20歳の子どもならまだしも50歳になって言ってたらさすがにひくと思うのです
あぁ、この人…働けないんだって周りもわかってくれると思うのです。
社会的にも、経済的にもゆとりができるためには精神的な強さがないといけない訳です。強くなれば、尺度も大きくなり、「遊ばせてもあいつを食わせる金くらいあっけどな」とかカッコよく言えるんでしょう。まだそこに至るまでには時間がかかりそうだけれど。
斎藤一人さんの本の中に、夫婦について書かれていましたが「最も魂を成長させる相手をパートナーに選ぶ」といいます。あながち間違ってないのかな?なんて思わずにはいられないのです。そばにいるだけで嫌でも毎日修行させられるのですもの(笑)でも、そんな嫁がいるからこそ私は開業もできるので感謝しかないですよね。だから、自分が言われて嫌なことも言い返しません。ブログには晒すけど