真実はいつもひとつ
私の文章力が乏しいのも、ギャグのセンスもないのも事実です(笑)
ただ、物事をどう捉えるかは受け手次第なんです。
友人の教えてくれた師匠の言葉。確か、「真実はひとつ。真理を語るは野暮」本当に短い言葉だけれど、そのお師匠さんの深い人生哲学が今になってわかります。
昨日も書きましたが、ブログもそうですがアウトプットしていることは行為としては事実です。ブログを書く。という動作として表現できます。
それを誰かが評価して、抽象的だとか、つまらないとか言われたからといってその評価をした人にとっての話です。
〝私〟はこのブログを書く(行動する)という行為は正しいと考えているから行うのです。
これを哲学用語的にいえば〝善〟です。
例えば、これがブログを書くという行為なのであれですが、ドロボウをするという行為も法的にはアウトでもドロボウする人は理由はどうあれ正しいと考えるから行うのです。規則と人の考えや思想、基準は異なります。
それらの判断しているものは、他人から見れば無価値かもしれない
記憶や経験ということです。そして、極論かもしれませんがそれを評価している人間の感性も正しいかどうかなんて分かりえないことです
ただ、事実(真実)として私の商品とクライアントとの望むものがマッチしていないだけのこと。
これを失敗だ!とか、私が作ったものを否定されたとかいうことは感情の問題でどうでもいいことなんです。本当に。落ち込まないし、どう修正しようか?と解決するためのプランを考えるだけなんです。
私の考えとクライアントの考えのズレを是正し着地点を探すことが正しいことだと私は考えています。
結局、ミスをそこで終わらせればそれば失敗なのかもしれませんが…
成功するまで試行すれば失敗なんてないのです。あるのは制限時間というリミットです。
あきらめない、あきらめる。その判断もその人の価値観で、その人の普段からの行いになるのかと思います。
だから、マインドが大事。
でも、それだけでもダメ。言葉で理解しても最終的に無意識にも実践できなければ。
最終的には、これも勘とか直感、感覚のようなものになっくるのだと私は思います。
