昨日、娘は空港に友人を見送りに行っていました。中学時代からの友人で、度々うちに来てくれることもありよく行く近所のスーパーの店員ということもあり娘だけでなくチビたちにも優しく声を掛けてくれました。そのこが、オーストラリアへ留学のため旅立ったのですうーん

 娘の話では、意外にもあっけらかんとしていた様子で…出発のゲートもわからず三度も間違えて(コイツ大丈夫か?)と思ったそうですアセアセ地元のともだち、高校の友人、家族に見送られ空港をあとにしたと。



 春先には、同じように「海外に留学する」と言っていた娘ですが、再度私が訊かずとも嫁が尋ねます。海外へ行くのかと?「行かない。」と(笑)

 その友人を見送るため、久々に地元の友人Bとも会ったという。推薦で大学に入って、すぐの遠征で1年でたった1人先輩たちの試合に同行したBちゃん。遠征から戻ると、妬み嫉みから同級生とベンチ入り出来なかった先輩たちから総無視。ミスをすると「Bちゃん、私たちを貶めるためにわざと失敗するのやめてくれる?」と露骨なイジメを先輩からされたという。Bちゃんは失敗が怖くなって、まともにプレーできなくなり止む無く引退。「今は、誰かにやってと言われたらできなくもないけど心からしたいとは思わない。後悔や未練はない」と。

 こんな同年代の話を聞いて、うちの娘はどう思ったのだろう?怖い世界だとか思っているのだろうか?

みな見えない未来をそれでも手探りで歩いている。なにもしなくたって時間は過ぎていく。

 嫁のママ友にも言われたが…
私がそれを気にするのは娘が一番上で始めての経験だからだという。20歳にもなれば、自分が望む望まないにも関わらず周りが変わってくる。と。

 なるほど、私がどうこう言える問題でもないようである。

かく言う自分だって結果は出せてないではないか…。比べる必要も焦る必要もない。ただ、選択だけはしている。毎日、やる・やらないの選択の連続である。まだ、この選択権が与えられていることだけは最初っから選択権を与えられていない人に比べて遥かに恵まれているということである。

事業も人生も、『ゴーイングコンサーン』である。終わりが来るときまで続くのである。成功も失敗も結局は、どの時点で見るか?その視点によっても変わる。

 さて、
一応娘は「娘は経営者になりたい」という。正直、今のマインドセットではせいぜい従業員としても下の下。まだまだ成長するまで時間はかかりそうだ。その間に私がまずは経営者になってなり方を教えよう。自分が変えられるのはせいぜい自分だけなのだから。そこから教えたとしても2・3年は軽くかかるだろう…