冬目 景先生の描く、『イエスタデイをうたって』の中で主人公とその恋敵のキャラクターの〝写真〟のカメラマンという仕事についてこんな話があります。

自分の中に、これを表現したいという何かを持っているという人間を芸術家というのならば

俺たちは、クライアントの望む写真をクライアントの望む以上のものを撮る職人だ。

と、主人公の写真スタジオの先輩が語りますうーん

どんな仕事でも、それって当てはまるのではないでしょうか?

しかも、昨日のブログに書いた分断本能によってどちらかって分けるよりも

例えばこの部分では、職人的であり、芸術家的だということがあっても何ら不思議ではないのではないのでしょうか?

 たとえば、料理の味に関しては…お客さんが望むようにいつもの味を出すように工夫をします。しかし、同じ素材であっても硬い部分があったり、見た目を良くするために切り方や下ごしらえの仕方を工夫したりするかもしれませんひらめき電球

 こういう、能動的な姿勢こそハマることだとホリエモンは表現します。私自身、いろんなことにハマってきたのですが…

最終的には、自分の人生の表現者になりたいしそして、少しでも良いものにしたいと願っていますショボーン

さて、子育ても通じて、社会的な営みを通してですが、日々学び、1日1日を邁進している実感はあるのですが…

やっぱり、日単位で予定が詰まってて忙しい。
分単位でも無駄にしたくないとは思うもののなかなか上手くはいかない滝汗こないだの試験までは、寝る時間は削れないから食事の時間を削ったりしてみた。

が、いつまでも若くはないので体力的にも無理はできない。

そう思うと、やはり早ければ早いほどいい。しかし、早い(若い)ほど、時間の有限性には気付きにくいものかもしれない。