なぜだか読みたくなったホリエモンの『ゼロ』という著書。2年6ヶ月の服役かを終えた直後のこの作品に、刑務所から出て一番なにがしたかったかを聞くとたぶん多くの一般の人は驚くんじゃないでしょうか?
それが、「働きたい」です。
著者の中では生い立ちから、自分の過去とホリエモンは向き合ってて、コミュニケーション能力の欠落の原因を振り返っています
この働きたいという言葉とともに、ホリエモンは自分のことを四六時中他人と繋がっていたいほどの寂しがり屋と表現しています。収監されているときの孤独、独房での看守とのやりとりに涙したことも書かれています。
そして、私は何よりこの言葉から感じたことは…この人にとって働きたい。仕事をしたいという言葉に込められた思いは社会と繋がっていたい。ひいては誰かの役に立ちたいということだと思います。
ホリエモンが、色々な人から相談のメールやTweetをもらうが、その人たちの求めている自分に求めている答えが掛け算の答えなんだと言います。何かを解決するために、より楽に簡単な手筈を知りたいから答えを求める。でも、0に何を掛けても0なんだという言葉には非常に共感を得ます。続けてこの人たちに必要なのは、1を積み重ねていくことだと続きます。
精神科で勤めていて、本当に身勝手な人がいます。私のいるデイケアというのは、社会と医療の間の存在。外で生活をしているが、この人はさすがに…という人です。医者も匙を投げていて、口論になるよりは「ハイハイ」と患者の言いなりになって、部下である私たちにその無茶を叶えろと命令してきます。そんな人に限って、他者に干渉的で口ばっかりで…本当に頼りになる人であれば家族や近隣の人と適度な距離を持って過ごしているはずですが赤の他人に迷惑をかけさせないために私たちがその捌け口になっているという訳です。だって、ふつうに考えて友人や家族などのコミュニティを形成出来ていれば調整して必要なこと必要でないことをこなしながら日々暮らしているはずです。だって、この人は身体の介護を必要とする訳ではないのですから何をしようかと思えば何でも出来るのですから
社会や、家族などの単位のグループで自分の損得ばかりを優先する人間がいたらどうなると思いますか?その人がめちゃくちゃ声が出かかった場合、多くの人が足並みを合わせている中でその存在は足を引っ張る存在になるというのは誰でも容易に想像できる。
私は娘がそんな存在にならないかを懸念している。単純に、判断基準が自分の〝快〟か〝不快〟かだけである。快楽のためなら、バイトをする。ちなみに小遣い稼ぎのためならバイトもする。がイヤなことはテコでもしない。そこまで金も必要性に迫られないからちょっとしんどかったら休める。それでもバイトするだけマシになったよと言うのが嫁の言。2年前には高校行きながら働いてましたが?今は自分のことで頭がいっぱい。20歳まではこれでいいらしい。時間で区切るのはいいが、きっと嫁はなにもしないを決め込んでいるのだろうと密かに思っている。私の職場の医者のように、匙を投げているとも私は捉えている。今、変われない人が何故明日変われるのか?2年後には立派な人のために生きられる大人になれるか?である。ホリエモンは別の著書の中で、1年早く東大を辞められていたら1年早く経営者になれていた。と、経験を積めたと言います。
さきにあったように、現実の世界は足し算なんです。2年立ち止まっているということは、2年のビハインドです。で、そこで手を差し伸べるのは止める?私は嫁を鬼か
と思うのです。じゃあ、なぜ最初っから手助けしたのだ?2年後も、20年後も同じではないかと。ただ、時が過ぎただけで変わる環境を与えるために自分も努力をしなかったくせに20歳という区切りのいい年齢だから大人ね!ってそれは酷い。その2年の価値ってわかっているのだろうか?
と思うのです。じゃあ、なぜ最初っから手助けしたのだ?2年後も、20年後も同じではないかと。ただ、時が過ぎただけで変わる環境を与えるために自分も努力をしなかったくせに20歳という区切りのいい年齢だから大人ね!ってそれは酷い。その2年の価値ってわかっているのだろうか? 例えば、私は予備校の先生にこんな話をされました。
初任給というのは同じだから…仮に、出世して最終の年俸が2000万になったとしてその2000万円分が定年から浪人して遅れた分だけ減ると。
それ以上に私は、輝ける10代から20代の肉体的に最高の状態の時にそれを無為に過ごすなんてお金で取り返したくったって一生取り返せないものです。頑張っても頑張っても疲れない時期をダラダラダラダラと。本当、人生のムダ使いです
体力は20歳をピークに衰えていくことなんて多くの人が知っていることでしょう。
体力は20歳をピークに衰えていくことなんて多くの人が知っていることでしょう。 看護師の国家試験の合格率は約9割。
一年目でほぼ全員が合格します。じゃあ、一年目落ちた人の次の合格率は9割かというと…5割にも落ちます。後輩に5年も6年も落ち続けた人がいます。一体全体の何割の人間だよと聞きたいところですが…
結局、引きこもりもニートもそんなものかもしれませんネ。
2年後には、一歩を踏み出す勇気を、積み重ねる努力を、なんて思える根拠がどこにあるのか不思議でならない。
まずは今から変えていこう、何かをしよう。私は今日もまた新しい一歩を積み重ねるのです。自信がないから人から認めてもらえないのではなく、他人のためになることを何もしないから自信も存在も認めてもらえない。
まぁ、仕事に出てても自分の仕事は増えるのは嫌だけれども給料は増えて欲しいという人は多いけど…組織に貢献して、大きくなって給料が上がるはずだと考える人は少ない。そんな人は決まって、同僚の妨害を受けたりもする。なんだか、つまらない話です
そんな茶番を演じてる暇があれば前向きな努力を重ねた方がよほど建設的だと思うのだが…。よっぽど時間の短縮になる。
まぁ、娘のことに関しては私も考えるのもやめた。鬼のような仕打ちを受けることもないだろうし、もっとキツイ現実を見せられたらいい。慌てふためいても2年のビハインドを人の何倍の努力をしないで、取れる訳もないと絶望し、開き直ってくれることを祈ろう。