最近、ブログを休みがちですが…時間に追われていたのが言い訳の理由です
日々がよくも悪くも充実しているのだと思いたい。大きな仕事を終え、一応はひと段落です
さて昨日、一昨日とここ数年毎年恒例になっているとある自転車の大会の大会本部に座ってました
みな60過ぎた方ばかりの中に、30代の私がいるのは場違い感ハンパない

でも、そんなことを言っちゃいられない訳です。
まずは、師匠から仕事の概要聞くのですが…まぁざっくりとした説明だけであとは毎度ながらぶっつけ本番です
でも、いつも一つだけ思うことがあって…それは〝私は自分が主役じゃなくていい〟と思うことです。大会に参加して、一位で帰ってくるような目立つわけでなく、裏方でいいのです。大会に参加してくれた方々が笑顔で〜そこで出会えた関わりの中に喜びを感じます。
冒頭で述べたように、みなスタッフも高齢です。ですが、その人たちそれぞれにも同じように人生があり生きてこられた過去を垣間見ることがありました

例えば…
スタート地点の垂れ幕をかけるシーンです。ある高齢の男性がババっと電柱に登ってその紐を結びに行くのです
体力的に厳しいかな?と思った私は交代すべきか〜なんて考えていると「電気工の仕事をされてたのですか?」と誰かが尋ねました。すると「アマチュア(無線)やってたからな。ガハハ」と答えられていました。人気の番組『ポツンと一軒家』でアマチュア無線の方で鉄塔を建てられたりする方もいるので登ってても不思議ではないと思うのでした。
同じようなことが、ある外国人ゲストライダーの方がスタッフと話しています。いきなり、その対応をしているオッサンが私の方を向いて「はい、通訳
」と言いました。当の本人は片言で「ダイジョウブです」と言うのを聞きながら私は(マジか)と心の中で呟いたその瞬間、後ろから流暢な英語が聴こえてきます。振り向くと英語を話すマダムが
かなり流暢だったので、本当にびっくりしました。
」と言いました。当の本人は片言で「ダイジョウブです」と言うのを聞きながら私は(マジか)と心の中で呟いたその瞬間、後ろから流暢な英語が聴こえてきます。振り向くと英語を話すマダムが すごいなぁと、素直に感動しました。
この方達は一体どんな人生を送って来られたのだろう?と。
そして、同じように私にできることは何だろうと。私にしかできないことは何だろうと考えさせられるのです
私がこんな凄い人たちをまとめる人の手伝いをして、それを継がせられようとしているのだから…
いつも友人と飲みに行くと、どうしても仕事の話をすると私がグチっぽくなるのでこんなフレーズが出ます。
「職業に、貴賎はない。」と。「どんな仕事であっても、それが社会的にニーズがあるから仕事として成り立っているのだ」と。
なにも難しい話ではありません。
私は、大会の仕事でもそうですし、ブログを書いててもそうです。話が飛躍してや、〝過大解釈〟として表現したことがありますが大きな枠組みにおいても同じだと思うのです。よく使うのが、人生でも同じだとか表現してしまいます

これって、先日再び読んだアドラー心理学の本『嫌われる勇気』にある共同体感覚に他ならないのだろうなと思うのです。本の中の表現を拝借して、書くと人は平面にいて前に居るとか後ろに居るのではなく地平がどこまでも広がるところに近くに立っているのだと。
『人生観』の話です。
比べようがないですよね?前なのか、後ろなのかそれこそ球体の上のように考えれば見る視点によって変わります。
私も友人もそうですが、同じように知らず知らず共同体感覚を強くもっています。共同体の範囲が無限に広がっています。これを金持ち父さんのロバート・キヨサキの言葉ではその人の『世界』や『現実』と言っています。ライフスタイルとも言い換えられると思います。
そして、アドラー心理学の中にはライフスタイルは〝自分が選べる〟すなわち変えられるのだといいます。多くの人が持っている共同体感覚は限定的で狭いのです。私であれば最たるは医療業界とか病院レベルの範囲とかでしょうか?
先日も経営が悪化してボーナスもカットの話をブログに書きましたが、こんなこと有り得ないと思っている人もいるでしょうがどこでもあってもおかしくない話です
むしろ、狭い世界(病院の中)しか見てないから今頃慌てて辞めようとしている人たちがいるのです。不満を言う暇があれば、さっさと職場を変えてれば良かったのです。ライセンス持ってるのだから…
でもこの人たちの生き方は変えられないのです。本当にすごい人たちはキャリアのジレンマのブログの中でも書きましたが仕事ができる人は自然と出世するし、給料も上がります。引き抜きもあるはずです
人レベル…から組織レベルまで話がコロコロ展開していますが、いい面、悪い面というのは何にでもあります。でもその存在は存在していて良くて、必要だからこそそこに存在しているのです。
世界の見え方が変わると、どんな自分であっても向上していける。変えていけます。もしかしたらこれがミリオネアマインドの正体かもしれませんね
結局、人のできることって今を頑張れるかどうかなんです。
それに気づけられれば、不平不満を口に出してる暇なんてないはずです。