娘に色々なことを教えないといけないと思うにあたり、読みかけだった『木のいのち 木の心』の本を暇があるたび読んでいます。この本は、天・地・人と3分に分かれており上から国宝級の人物の師匠の話しから始まり、その弟子の方と話が続いている。今はその、弟子の方である小川 三夫さんという方の地の章を読んでいます
最近のブログは多大に影響を受けているに違いないと思います。
ところで、突然ですが〝技〟とはなんだと思いますか?
格闘技の話しになります。たぶん、『からくりサーカス』で読んだのかな?もともと武術というのは弱者が強者から身を守るために身につけるものだといいます。なるほど、わかりやすい。例えば、人を紙切れのようにちぎれるくらい膂力が強い人に技は要らないでしょう。パンチどころか手を振ればきっと壁に相手は激突して倒れているはずです。
もし、何年・何十年と修行を積んで身につけた護身術というか技があればさきほどの強者を倒せるだけの力があったとしても勝てるかどうか?というとどうでしょう。
自分よりも何倍も大きく、恐怖に萎縮したらその技も放てないかもしれない。ということになります。
かくいう私もそうです。少年野球では、バッターボックスに立つと必ず打てないといけないと思うとブルってしまいバッターボックスに立ちたいなんて思えなかった
野球界のレジェンドであるイチロー選手でさえ3割ほど。3回に1回ヒットを打てればいいと、子どもの自分であれば6回に1回でも十分に打てればと心の重荷はなかったのかもしれない。しかし、そんな監督やコーチ、先生といった指導者はいなかったように思います。
テレビ番組でチビッコ相撲の小学生の男の子の話をいつだか観た。その子が、ある相撲部屋で稽古をさせてもらっていたが…ほんとうに自分の2倍の中学生に立ち合うのです。
親方はこういいます。
「勝ち負けではこの稽古では関係ありません。試合が始まれば土俵の上では自分ひとりです。誰も助けてはくれません。それでも立ち向かわなければなりません。そのための稽古です。」
それを聞いたときすごいな。と。
技も心も体も大事。
冒頭の小川 三夫さんの言葉に私は共感ばかり覚えます。のちに師匠になる西岡 常一氏に、人を雇えるほど大きな仕事がないうちは仕事を教えることも出来ないから他所で技術を磨くよう言われて家具屋で勤めます。その後、師匠の元に来た際には兄弟子に「道具を見せてみろ」と言われてみせるとポイってされるんです
昨日の自分、自分に目が向いてない人間だったら自分の過去にケチをつけられたら意固地になったり腹が立ったりするはずです。もしかしたら、弟子入りもやめるかもしれません。しかし、小川さんはそうは思わなかったと言います。それが20代からできていたというのだから、私よりはるかにできた人物だと思いますが…ダメという事実があれば、改善するしかないのです。この方は、それから道具の研ぎだけを2年やったと言います。ここで、大事だったのはそれまで生きてきた習慣や習性を忘れまっさらになることだったと言います。
言葉は少なくとも、自分で考えて学んだことは身につけてからその先が違うと言います。
私も娘を一人前に育てられる自信なんてありません。うまくいけば運が良かったと思うし、ダメなら私はまた教えるにはダメなプロセスを発見しただけのこと。さぁ、今月内に返事を言いに来るのか否か…。どうなることやら